
「美ら海水族館に行きたいんだけど、美術館で怖い絵を見るよりかは、お友達と綺麗(きれい)な珊瑚礁(さんごしょう)を見る方が楽しそう」。名護市の辺野古沖転覆事故で亡くなった同志社国際高校2年の武石知華さん(17)の遺族はインターネットの投稿サイト「note(ノート)」で、知華さんが沖縄研修のオプションで辺野古コースを選んだ理由を明かした。
知華さんが美術館の「怖い絵」と言及した絵は、宜野湾市にある佐喜眞美術館の「沖縄戦の図」である。「原爆の図」で知られる画家の丸木位里(広島県出身)・丸木俊(北海道出身)夫妻が1984年、沖縄県で戦争体験者の証言や本を基に6年かけて制作した縦4㍍横8・5㍍の大作だ。
この作品があるホールには修学旅行生が最大240人入る。絵の前で30分の説明を受けた後、米軍普天間飛行場に隣接する同館の屋上で、基地の説明を20分聞くという決まった形式の学習プログラムが「平和学習」として提供されている。
沖縄戦を題材としたことについて丸木夫妻は、「日本という国は明治からずっと侵略戦争ばかりをしてきた(中略)焼け野原になった。この経験を通して日本人は戦争を空襲のことだと思ってしまい、戦争の本質を知らないのだ。こういう国はまた戦争をするかもしれない」(『アートで平和をつくる―沖縄・佐喜眞美術館の軌跡』佐喜眞道夫著)と説明している。
2人は1945年に日本共産党に入党し、64年に党改革の意見書を連名で提出した後に除名されたことは知られている。沖縄戦の図を制作するまでの間に「南京大虐殺の図」や「水俣の図」を完成させている。
佐喜眞美術館の一番大きな展示室の壁一面に描かれた作品には、戦場を逃げる人や米軍の艦隊、ガマ(洞窟や壕(ごう)などの避難所)に加え、集団自決の様子が描かれている。同館のパンフレットには絵の説明に「集団自決(強制集団死)」と記述がある。
「強制集団死」とは旧日本軍の命令で住民が集団自決させられたという意味であり、沖縄地元2紙が徹底している表記だ。沖縄戦の図の左下には署名横に作者コメントが添えられている。「恥かしめを受けぬ前に死ね 手りゅうだんを下さい(中略)手を下さない虐殺である」。作者の意図が集団自決の印象付けにあることが分かる。
戦後、軍人や遺族の援護に携わった元琉球政府職員の照屋昇雄氏(故人)が「(住民が軍人軍属として年金が受けられるよう)遺族らに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用させるため、軍による命令ということにして自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は一人もいなかった」と証言している。
沖縄戦の図の制作時には明らかにされていなかった、集団自決の検証過程を補足する言葉は美術館のどこにもない。むしろ、『アートで平和をつくる』の修学旅行生への説明には、日本軍が手榴弾(しゅりゅうだん)を配ったことなど「軍命ありき」の説明をしている。
2025年3月の県議会で大田守県議(会派=当時維新の会、現在立憲・無所属の会)は「復帰後、沖縄に来た旧日本軍は加害者で、旧日本軍の残虐性が前面に出てきている」と指摘し、「80年の節目に赤紙1枚で日本全国から沖縄に連れて来られた若い人たち、一番遠い北海道が一番多く亡くなっていることを含めることが本来の平和学習だ」と知事公室に対し提言している。
県が戦後80周年平和祈念事業で企画した「平和関連施設ネットワーク(委託=東武トップツアーズ株式会社など)」の8施設のうち、佐喜眞美術館は沖縄県平和祈念資料館など共に登録された。同美術館の趣旨と県の考えは一致している。
「戦争はいけない」というメッセージは必要だが、「日本軍は残虐非道で住民を助けない」というイメージを学生に植え付けることが果たして平和学習なのか。事実とイデオロギーを切り分けて伝える平和学習が求められる。
(沖縄平和教育問題取材班)
【連載】検証・沖縄平和教育(1)左翼思想がミッション系に浸透






