
沖縄県名護市の辺野古沖で16日、小型船2隻が転覆し、女子高生と船長の2人が死亡した。事故の船が米軍普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古移設に反対する「抗議船」と発覚し、平和学習の在り方に注目が集まっている。同志社国際高等学校(京都府)は17日の会見で、生徒に「抗議活動に参加させる意図はなかった」と説明した。ただ、沖縄の平和学習は特定の政治的主張と結び付いていることが広く知られており、「政治の教育への不介入」の改善が求められている。(沖縄支局・竹澤安李紗、写真も)
16日午前10時10分ごろに事故が発生した。平和学習のため来沖した同志社国際高の2年生262人(男子120人、女子142人)は7コースに分かれ、そのうち「辺野古をボートに乗り海から見るコース(Fコース)」を選択したのは37人だった。先発隊と後発隊に分かれて乗船する予定で、先発隊18人(男子8人、女子10人)の生徒が乗っていた2隻で事故が発生した。
当時、風速4㍍で波浪注意報が発令されていたが、「出航の可否を船長の判断に一任した」と学校側は会見で説明した。辺野古漁港を出発した船は、珊瑚(さんご)礁リーフの外側を通ろうとした「不屈」が転覆。「平和丸」が「不屈」の救助に向かおうとして2分後に転覆し、生徒らは海に投げ出され、「不屈」の操縦をしていた船長と、「平和丸」に乗船していた女子高生1人が亡くなった。
全員が救命胴衣を着けていたが、女子高生の救命胴衣が船体に引っ掛かっていたという。死亡した2人を除くと、生徒17人と乗組員2人のうち、生徒ら計14人が擦り傷や打撲などの怪我(けが)を負い、うち1人が指を骨折した。第11管区海上保安本部(那覇市)が詳しい事故原因を調べている。
同校の西田喜久夫校長は、2015年ごろから辺野古での平和学習が始まったと説明。21年度までは陸から見学するスタイルだったが、22年度から、事故で亡くなった「不屈」の船長・金井創氏(71)の提案でボートに乗り、海から見学するスタイルに変わった。その中で、日本基督教団の牧師であり、キリスト教主義の同校の教員と個人的なつながりがあった金井氏に依頼するようになったという。
船を運航した市民団体「ヘリ基地反対協議会」は海上運送法に基づく事業登録をしていなかったが、学校側は安全確認を怠った。その判断の背景には、船長との長年の個人的な信頼関係に基づき、「船長が大丈夫だと言えば安全は担保されている」と学校側は思い込んでいたと弁明。過去に修学旅行以外の場で、同船に乗船したことのある教員がいることも明らかにした。
「胸が張り裂ける思い。起こるべくして起こってしまった人災だ」
沖縄の左翼活動に詳しいラジオパーソナリティーの手登根(てどこん)安則氏(62、浦添市在住)は、事故を起こした市民団体のコンプライアンス意識の欠如を非難した。
那覇西高校PTA会長を務めていた十数年前、手登根氏は、沖縄の県立高校が違法テントの前に生徒を座らせ平和学習を行った光景を見た。平和教育・平和学習の名の下に、反基地活動家の話を聞かせ、一方的な思想を吹き込むことが常態化していたのだ。
今回の事故の背景には、「反基地無罪と政治の教育への不介入」があると手登根氏は分析する。沖縄では「反戦平和は免罪符」となり、「自分たちは正しい」「何をやっても許される」という反基地無罪がまかり通っていた。手登根氏は「オール沖縄が沖縄政治を握った時、彼らは私に、『オール沖縄にあらずんば沖縄県民にあらず』と言ってきた。彼らにはおごり高ぶりがあった」と明かした。

24年6月に名護市安和の桟橋出入り口で、警備員の男性が抗議活動を制止している最中にダンプカーに轢(ひ)かれ死亡した事故も発生した。「反基地活動家の違法行為を糾弾することなく、常に擁護してきた地元メディアや県政は、安和の事故も大きく取り上げず、反省が生かされなかった」と手登根氏は語る。
沖縄の政治家はおかしいと思っていても、声を上げれば政治生命を失うリスクがある。「火中の栗を拾う人がいなかった。政治家が声を上げていたら状況は早く変わっていた」と政治の不介入を手登根氏は批判した。
さらに、修学旅行の平和学習が反基地活動家たちの活動資金獲得につながっていた可能性を手登根氏は指摘する。沖縄を訪問する学校は年間2000校ある。海保が同団体を家宅捜索しているが、平和学習の講話や美術館、民泊、海上案内などの使用料を「カンパ」として組織的に集めていた場合、反基地の平和学習ビジネスが成り立っていたことになる。
今回の事故では、天候不良による欠航に伴う学校側からのカンパ返金を回避するため、船長が出航を判断した可能性もある。手登根氏は沖縄左翼が多用する「『ぬちどぅ宝』(命こそ宝)という言葉は二度と使わないでほしい」と苦言を呈し、「平和学習を根本的に見直さないといけない」と訴えた。






