トップ国内沖縄平和への祈り 次の世代へ  「平和な世を守っていく」 沖縄慰霊の日

平和への祈り 次の世代へ  「平和な世を守っていく」 沖縄慰霊の日

「平和の礎(いしじ)」の前で手を合わせる遺族ら=23日午前、沖縄県糸満市(森啓造撮影)
「平和の礎(いしじ)」の前で手を合わせる遺族ら =23日午前、沖縄県糸満市

沖縄慰霊の日の23日、糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園に並ぶ「平和の礎(いしじ)」には、早朝から多くの遺族らが訪れ、戦没者の刻銘に花や供え物を手向けた。苛烈を極めた沖縄戦の終結から80年が経(た)ち、戦争体験者の高齢化が進む中、平和への祈りは次の世代へと受け継がれようとしている。

孫やひ孫と一緒に訪れた平良マツさん(89)=宜野座村=は、「体力的にも(慰霊は)今年が最後かもしれないが、孫たちがしっかりやってくれるから安心」と語り笑顔を見せた。孫の栄次さん(35)は「娘(マツさんのひ孫)が、直接戦争体験を聞く最後の世代になる。平和について家族でしっかり考える日にしたい」と話した。

幼い頃から毎年家族で訪れているという金城彩夏さん(10)=沖縄市=は、10年前に曾祖父が、一昨年に祖父が他界し、以来、両親と祖母と4人で慰霊の祈りを捧げている。彩夏さんは「平和な世の中を守っていく」との決意を込めて、礎に向かって沖縄の民謡「てぃんさぐぬ花」を三線で演奏していた。

八重瀬町から訪れた新垣秋子さん(86)は、礎に花を手向け、夫の兄姉の刻銘に水をかけた。「のども渇いていただろうから、水を飲ませてあげたくて」と声を詰まらせた。

沖縄戦当時6歳だった新垣さんは、母と兄、2歳下の妹の3人で県北部に避難。洞窟に身を隠したが、妹が泣きだしたことを日本兵にとがめられ、「家族で出て行くしかなかった」などとつらい記憶を語った。その上で、米国による対イラン攻撃などのニュースについて「子や孫たちはどうなるんだろう」と不安をのぞかせ「見るたびに怖くなる。若い人たちは平和への意識を高めてほしい」と訴えた。

南城市から8歳と6歳の孫らと訪れた新里光子さん(78)は、当時4歳と2歳だった姉2人が栄養失調などで死亡した。「世界が平和になるよう見守ってほしい」。刻まれた2人の名に祈りをささげた。

新里さんは「姉たちから『これからも孫たちを大きく成長させてね』と言われているように感じた」と目を潤ませた。

宜野湾市から訪れた伊波雄翔さん(11)は、礎に刻まれた高祖父に「戦争が二度と起こらないよう空から見守っていてください」と祈った。

母史子さん(49)は、毎年欠かさず礎を訪れていた祖母を見てお参りするようになったといい、息子にも「その思いをつなぎたい」と話した。

名護市の岸本憲三さん(82)は、刻銘板に刻まれた父や祖父の名前に泡盛をかけて追悼。台湾有事などを挙げ「戦争は本当にしないでほしい」と力を込めた。

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