
戦後80年を迎え、沖縄の戦争体験を巡る歴史認識が大きな波紋を呼んでいる。自民党・西田昌司参院議員や、那覇市議・大山たかお氏の発言が飛び出すと、地元メディアや一部識者からは「歴史修正主義」との批判が相次いだ。一方で、県内の資料館における一方的な視点による展示内容への異議は、以前から複数の市民団体や有識者らによって繰り返し提起されてきた。今後、沖縄戦の「語られ方」を誰が決めるのか、その根本が問われている。(沖縄支局・川瀬裕也)
歴史認識についての議論が再燃する発端となったのは、自民党の西田氏が5月3日に那覇市で行った講演で、ひめゆりの塔(糸満市)の展示内容について「歴史の書き換え」などと発言したことだ。
西田氏は、展示は「日本軍が入ってきてひめゆり(学徒)隊が死んだ。そして米国が入ってきて沖縄が解放されたとの文脈で書かれている」と指摘した上で、県内の歴史教育の在り方について、「沖縄の地上戦の解釈はかなりむちゃくちゃな教育になっている」と苦言を呈した。
これに対し、ひめゆり平和祈念資料館側は「実相を汲(く)んだ展示がされている」と反論。市民団体や玉城デニー知事も「犠牲者の声を踏みにじる行為」だとして西田氏の発言を非難し、県議会では抗議決議が可決されるに至った。これらの動きを受け、西田氏は6月9日の参院決算委員会で、自身の発言について「結果的に沖縄県民および多くの方の心に傷を付けることになった」と陳謝した。

この流れを受けて、先日、新たな火種が発生した。那覇市議の大山氏が11日の市議会で、対馬丸記念館(那覇市)の展示について「間違っている」との認識を示したのだ。同記念館のパネル展示では、学童疎開について、「安全な場所へ避難させ命を大切に守るというよりも、軍の食料を確保し、戦闘の足手まといになる住民を戦場から撤退させ、果てしなく続く戦争の次の戦力となる子どもを確保することが真の目的でした」などと記載している。
大山氏は、「疎開や避難に関する誤った見識が生まれるのではと危機感を感じる」と発言。「住民を戦場に巻き込まないことが(疎開の)真の目的ではないかと思う」と述べた。これに対し記念館側は「事実を展示している」と反論。大山氏は持論は堅持しつつも、翌日の議会で発言の取り消しと謝罪を行った。
だが、戦争展示に対する違和感や偏りを指摘する声はこれまでにもあった。代表的な例として、糸満市の平和祈念資料館の展示内容が挙げられる。日本軍による県民への残虐行為にフォーカスした展示内容については、賛否が巻き起こってきた。
同資料館の前身に当たる旧資料館が1975年に開館した際、展示内容の多くは旧日本軍を顕彰する内容がほとんどだったが、復帰闘争を契機に、一部の左翼思想家や市民団体らによって、日本兵による残虐行為のみにフォーカスを当てた、現在の「住民の視点」の展示に様変わりした。
2000年に現在の資料館がオープンする際に、当時の稲嶺恵一元知事が、反日的な内容にならぬようにと、展示内容の見直しを指示したが、地元メディアや有識者らが激しく反発し、猛烈な抗議キャンペーンを展開。以来、展示内容は一種の聖域と化している。
元鎌倉市議の伊藤玲子氏は、著書『「沖縄県平和祈念資料館」その真実』(展転社)の中で、同館に対し「なぜこれまでこの状態が放置されてきたのか」と強い憂慮を表明している。

今回の西田氏、大山氏の発言も、これらの偏りに対して異議を唱える立場から発せられたものと推測されるが、そうした議員らに対し、「修正主義」「歴史歪曲(わいきょく)」などの厳しいレッテルが貼られ、メディアによるバッシングが展開される様子に違和感を抱く声もある。
「新しい歴史教科書をつくる会」顧問の藤岡信勝氏は、一連の問題について、「資料館展示は、公共的な場であり、社会的な責任が伴う」と語り、「特定の立場や思想を押し付けるものは許されない」と強調した。その上で、大山氏や西田氏の発言は「趣旨自体はまっとうなものだ」と肯定しつつ、「(展示への)異論を排除すること自体が想像を絶する異常な状態だ」と、県内の言論空間に懸念を示した。
沖縄戦を経験した世代が少なくなる中、戦争の記憶を「一方的な解釈」にとらわれることなく、どのように語り継いでいくのかが問われている。