トップ国内沖縄戦争体験の政治利用に危機感 ひめゆり婦長の遺族 上原一政さんに聞く

戦争体験の政治利用に危機感 ひめゆり婦長の遺族 上原一政さんに聞く

ドラマ、メディアの史実歪曲に警鐘 日本軍への誤解、いまだ根深く

ひめゆりの塔に献花する人々=5日、糸満市のひめゆりの塔
自民党の西田昌司参院議員がこのほど、那覇市内で行った講演会で、「ひめゆりの塔」の展示内容について「歴史の書き換え」などと発言したことが県内外で波紋を呼んでいる。戦時中、ひめゆり学徒隊と共に負傷兵の看護に当たり、「日本のナイチンゲール」と呼ばれた陸軍病院第一外科の婦長・上原貴美子(戸籍ではキミ)さんを従叔母(いとこおば)に持つ、上原一政さん(88)に、戦後の戦争の記憶継承の在り方、歴史認識などについて聞いた。(沖縄支局・川瀬裕也)

1919年、沖縄県糸満市に生まれた貴美子さんは、青年時代に那覇の看護婦(看護師)養成所や産婆(助産師)養成所で技術を学び、44年、陸軍病院に採用され、11号まであった病棟を取り仕切る婦長に任命された。

45年、戦況の悪化に伴い沖縄戦が勃発すると、貴美子さんは「ひめゆり学徒隊」の指導者として10代の少女らを束ね、砲弾の飛び交う戦場の最前線で、壕(ごう)を回って負傷兵に手当てを施した。しかし同年6月、米軍の砲弾によって命を落とした。

映画『ひめゆりの塔』(53年)で、ひめゆり学徒を演じた女優・香川京子さんは著書『ひめゆりたちの祈り』(朝日新聞社刊)の中で、当時を知る関係者の証言として次のように記している。「婦長さんが各壕を回って、負傷した兵隊さんたちを励まされるんですよ。上原婦長が壕の前に立たれると、兵隊たちはワーッと手をたたいて、『婦長がきた、婦長がきた』といってとても喜んだんです。兵隊たちからも慕われていたし、もう神様みたいに思われていたんじゃないでしょうか」

また、ひめゆり学徒を引率した教師、故仲宗根政善琉球大学名誉教授も、自身の著書の中で「沖縄の女性で戦時中、上原婦長ほど勇敢に自分の職責を果たした者はなかったろう。いや、日本の女性の中でもきわめてまれであったろう」と最大級の賛辞を送っている。

貴美子さんの従甥(いとこおい)に当たる上原一政さんは、「戦時中のおばさん(貴美子さん)の功績は、多くの人から伝え聞いてきた」と振り返る。戦後、仲宗根氏から手渡されたという、ひめゆり関係の生存者らから貴美子さんへ綴(つづ)られた感謝状を誇らしげに見せてくれた。感謝状にはこう記されている。

「われわれはあなたの情愛を尽くした尊い献身的な働きをしのび、患者および看護婦生徒に盡(つく)された労苦に深く感謝申し上げて、長く後世に伝えたく感謝状を贈呈致します」

しかし19年前、貴美子さんの功績に傷を付ける衝撃的な事件が起こった。日本テレビが2006年に放映した、貴美子さんをモデルにしたと思われるドラマ『最後のナイチンゲール』の内容があまりにも史実と懸け離れていたというのだ。

ドラマでは女優の長谷川京子さん演じるヒロインの婦長・新城美智子が、米軍との戦闘中に、壕の中で日本兵と性行為をするシーンが描かれている。さらに終盤、投降しようとした婦長を背後から日本兵が銃殺し、物語は幕を閉じる。

上原貴美子さんに贈られた感謝状を紹介する一政さん=10日、那覇市内

ドラマを視聴した一政さんは、自身が見聞きしてきたひめゆりの史実とあまりにも乖離(かいり)していたことに強い憤りを覚えたという。「あんなのはでたらめで、絶対にあり得ない」と語気を強める。

ドラマには「この物語はフィクションであり、いかなる人物・団体・名称等も実在のものとは一切関係ありません」との決まり文句が添えられていたが、「ひめゆりの歴史をねじ曲げる行為にほかならない」と強く批判する。

現在沖縄では、戦争で沖縄が「捨て石にされた」とする見方や、日本兵によって多くの人が「殺された」との言説が飛び交っている。これらの現状について一政さんは、「日本兵に対する誤解や偏った解釈が根深く残っていることが原因だ」と持論を述べた。

現在、一部の県政与党や地元紙などが当時の日本軍と自衛隊を同一視するかのようにして、県民の敵対心を煽(あお)るような論陣を張っていることに対し、一政さんは、ドラマを視聴した時と似た違和感を覚えている。「悲惨な戦争体験を政治利用する姿勢には、大いに危機感を募らせている」と警鐘を鳴らす。

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