トップ国内沖縄鎌倉芳太郎の業績讃える 顕彰碑の除幕式 那覇市・沖縄県立芸大

鎌倉芳太郎の業績讃える 顕彰碑の除幕式 那覇市・沖縄県立芸大

琉球芸術文化、美の発掘者である鎌倉芳太郎氏(1898―1983年、人間国宝〈型絵染〉)の業績を讃(たた)える顕彰碑の除幕式(主催=鎌倉芳太郎沖縄顕彰会、波照間永吉会長)が1月31日、沖縄県立芸術大学で行われた。

顕彰碑建立発案の那覇南ロータリークラブ(稲垣純一会長)の創立50周年記念事業の一環で行われた式典には、香川県から芳太郎氏の親族・鎌倉佳光さん(写真左から4人目)や伊藤良春・同県三木町長、同県顕彰会会長の佃昌道高松大学学長ほか高松南ロータリークラブ会員らが参席。沖縄県からは顕彰会の波照間氏のほか、波多野泉沖縄県立芸術大学学長、古謝玄太那覇市副市長らが出席した。

式典で波照間会長は「香川と沖縄の両県民の友好と協力によって実現した顕彰碑建立を契機に、県民はじめ多くの人に鎌倉先生の業績を知ってもらいたい」とあいさつ。波多野学長は、「資料館の前に記念すべき顕彰碑が建立されたことは感無量だ」と話した。

顕彰碑建立のきっかけは、那覇南、高松南両ロータリークラブの姉妹締結。両県に共通する功労者として鎌倉芳太郎氏の名が上がり、約6年かけて実現した。

芳太郎氏は1921年、東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)卒業後、沖縄県女子師範学校教諭として赴任。琉球芸術文化の美と価値に目覚め、24年から2次にわたる「琉球芸術調査事業」を実施した。

同氏が収集した資料は約7500点に上り、戦後、沖縄特有の紅型の復興や首里城の復元に大きく貢献した。これらの資料は、86年の県立芸大開学に際し、県に寄贈され、同大付属図書・資料館に収蔵されている。

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