終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は、日本が人口過剰によって再び海外に軍事進出することのないよう、産児制限によって人口増加を抑えようとした。しかし、ここに大きな問題があった。

産児制限に関しては当時、米国のマーガレット・サンガーのように推進に熱心な人物が存在する一方、各国政府は「国家の衰退につながる」として慎重姿勢を示していた。GHQが日本に産児制限を導入させれば「戦勝国の押し付け」と批判を浴びることは目に見えていた。特に米国内で避妊や人工妊娠中絶を問題視するカトリック系団体などから非難されることは、将来の大統領選出馬を目指していた連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーにとっては避けたい事態だった。
従って日本で産児制限を普及させるには、日本が自ら導入したという形にしなければならなかった。このために必要とされたのが日本人の協力者だった。
優生保護法を制定
では、協力者とは誰だったのか。かつて旧厚生省で児童家庭局企画課長を務め、人口問題に詳しい大泉博子元衆院議員は、GHQが「戦前にサンガーを日本に招聘(しょうへい)した加藤シヅエをバックアップして社会党の衆院議員にし、優生保護法(現母体保護法)案を議員立法で提出させた」と指摘する。

加藤は1920年、米国でサンガーと出会い、戦前の日本で産児制限の普及に努めた。終戦直後には産児制限について「国民の食糧事情、失業者の洪水、絶無に近い医療設備など、そのどれをとっても、絶対的に必要」と発言したことが新聞で報じられた。サンガーを師と仰ぐ加藤は、GHQにとってうってつけの人物だったと言えよう。
加藤らが提出した優生保護法案は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護する」ことを目的に中絶を認めるものだった。当時の日本では中絶は堕胎罪で罰せられるため、闇堕胎を行った女性らが健康を損なう事例が相次いでいた。法案が48年に成立したのは、こうした事情が後押しした面もある。産児制限は必ずしも中絶だけを指すのではなく、器具や薬品なども利用して行うものだったが、当時の日本では中絶と捉える人が多かった。
優生保護法は49年の改正で「経済的理由」による中絶も認めるようになった。これによって、50年の中絶件数は49年の3倍以上となる32万150件に達した一方、出生数は前年比35万9131人減の233万7507人となって日本のベビーブームは終焉(しゅうえん)した。GHQの狙いは見事に的中したのだ。
さらに52年の再改正で、中絶を行うかどうかが指定医の判断に委ねられるようになってから中絶件数は加速度的に増加し、55年には117万143件に達した。1年間で100万人以上の胎児の命が奪われたのだ。ちなみに、この年の出生数は173万692人。大泉氏が「この法律なかりせば、ベビーブームは続いていた」と述べる通りである。
さすがにこの後、中絶件数は減少したが、少子化が急速に進む近年でも毎年約10万件の中絶が行われていることは見過ごせない問題である。
優生保護法に関しては2024年、最高裁が障害を理由に強制不妊手術を認めた規定は憲法違反との判断を下して大きなニュースとなった。だが、この時も中絶への言及はほとんど見られなかった。
「子供2人」を推奨
ただ、日本の急速な少子化をGHQだけのせいにすることはできない。日本ではベビーブーマーが結婚適齢期を迎えた1971年から第2次ベビーブームが始まったが、73年に第1次石油危機が発生したことなどをきっかけに再び人口過剰論が強まり、74年の「第1回日本人口会議」(人口問題研究会などが共催)では「子供は2人まで」という考えが打ち出された。こうした影響で第2次ベビーブームも74年までの4年間で終焉を迎え、75年からは出生数の減少に歯止めがかからない状況が続いている。
しかし政府が本気を出せば、人口政策にしっかりと取り組むことはできたはずだ。それができなかったのは、国民の反発を恐れたからにほかならない。人口政策は戦前の「産めよ殖やせよ」を想起させるとのアレルギーが強かった。この結果、現在では少子化による人口減少が極めて深刻なものとなっている。近代以降の日本の人口問題に関しては、作家、河合雅司氏の著書『日本の少子化 百年の迷走』(新潮選書)に詳しい。
果たして、少子化を食い止める道はあるのか。平成国際大学名誉教授で社会保障などを研究する佐藤晴彦氏は、少子化対策を進める上で「育児の喜び」が鍵を握ると指摘する。
佐藤氏は「政府の支援は児童手当をはじめ外面的、体系的なものが多い。だが、それだけでは足りない。問題は内面。両親が『子供を持ってよかった』と思えるようにしないと、若い人たちは子供を持ちたいと思わない」と強調した上で「体験者が育児の喜びを小中高校で伝えることが大切」と提案する。
『旧約聖書』の「創世記」には、神が人間に「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」という祝福の言葉を与える場面がある。結婚して子供を産み、家族を持つ喜びを感じながら生きることが人間の本来の営みであるならば、戦後の日本で失われつつある家族の価値を取り戻すことが少子化対策の第一歩となるだろう。
(宮田陽一郎)







