『失敗の本質』から改めて学ぶ
戦後80年余りが過ぎ、近年では日米が戦ったことすら知らない人も増えている。当時、日本で軍内外を問わず冷静に状況を分析していた人たちは、日本に勝ち目はないと分かっていた。日本は短期的な勝利はあり得ても、長期戦を戦い抜く国力がないことは明らかであった。なぜ負ける戦いに挑んだのかはここでは問わない。日本がどのような「戦い方」をして「負けた」のかを振り返り、今に生きる私たちへの教訓としてみたい。(長野康彦)

六つの失敗例
日本は米国と約3年8カ月にわたり戦った。1941(昭和16)年12月8日のハワイ真珠湾攻撃および英領マレー半島奇襲で戦争は始まり、1945年8月6日に広島、9日に長崎へ原爆が投下され、15日にポツダム宣言を受諾し、終結した。
大東亜戦争の敗因を分析した古典的名著『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中公文庫)では、同戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗と捉え、失敗例として六つを取り上げる。それは、失敗の序曲としてのノモンハン事件、4隻の空母すべてを失い戦争のターニング・ポイントとなったミッドウェー海戦、戦死者よりも餓死者が圧倒的に多かったガダルカナル作戦、戦略的合理性を欠き、やる必要のなかったインパール作戦、自己認識に失敗し壊滅的損失をこうむったレイテ海戦、そして沖縄戦である。

軍隊とは合理的・階層的官僚制組織の最たるものだが、本書ではその典型であるはずの日本軍には、戦争というその組織的使命を果たすべき状況において、「しばしば合理性と効率性に相反する行動を示」す特性があり、それが組織的欠陥となって大東亜戦争での失敗を導いたと分析する。そこには、「観念的な自軍の精強度に対する過信」「人間関係を過度に重視する情緒主義」「強烈な使命感を抱く個人の突出を許容するシステムの存在」「グランド・デザイン(グランド・ストラテジー)の欠如」などの要因が挙げられている。
ガダルカナルでは「兵力の逐次投入」(小出しに兵力を追加すること)という、本来、戦いで最も取ってはいけない作戦を実行して敗北した。レイテ海戦では作戦目的が曖昧で、能力不相応の作戦計画を立ててしまった。本書ではそれを「自己認識の失敗」と表現している。同海戦では戦艦大和を旗艦とする栗田艦隊がレイテ湾進入を目前にして突然進路を北に変え、戦闘を放棄し撤退した「謎の反転」についての考察も加えられていて興味深い。
大東亜戦争では海軍と陸軍を一元的に指揮する、現代の「統合参謀本部」に相当する組織は存在しなかった。海軍と陸軍は共同作戦こそ行うものの、統一された指揮系統の下で戦うことはなかった。そうした組織的欠陥も敗因の一つである。海軍は大艦巨砲主義、陸軍は白兵銃剣主義で日露戦争や中国大陸での戦闘経験から抜け出せず、精神主義に陥り、自己を過大評価し相手を過小評価した。また米軍は早くから日本側の暗号解読に務め、ミッドウェー海戦では日本軍の作戦を事前にかなり正確に把握していたが、日本軍は情報戦というものを軽視した。そうした経緯は堀栄三著『大本営参謀の情報戦記』(文春文庫)に詳しい。
抽象的な戦略策定
『失敗の本質』では「作戦司令部には兵站(へいたん)無視、情報力軽視、科学的思考方法軽視の風潮があった」とし、それゆえ日本軍の戦略策定過程は「硬直的・官僚的な思考の体質のままに机上でのプランを練っていく過程で生まれる抽象的なものであった」と分析している。にもかかわらず最前線でかなりの程度までの命令遂行が行われたのは、戦闘部隊が練達した戦闘技量を持っていたからで、司令部の「抽象的な命令を補って余りあるものを発揮したから」である。つまり、現場の優秀さが、硬直した司令部の戦略・作戦上の欠陥を補っていたのである。戦況を把握している第一線からの作戦変更の申し出はほとんど拒否され、現場からのフィードバックを活(い)かすというシステムはなく、大本営のエリートたちは安全な場所から命令を下すだけで、危険な現場に出る努力を怠っていた。
作家の渡部昇一氏は、大東亜戦争は、勝てないまでも引き分けにする機会が少なくとも2度あったが、それを「機動部隊の南雲(なぐも)忠一司令官と山本五十六(いそろく)連合艦隊司令長官の判断ミスで逃してしまった」と『増補決定版日本史』(扶桑社文庫)に書いている。一つは真珠湾攻撃の際、石油燃料タンクや海軍工廠を破壊する第3次攻撃を行わなかったことだ。それをしていれば、米海軍はアメリカ西海岸まで後退を余儀なくされ、その後、半年は太平洋で動けなかったという趣旨の発言をアメリカ太平洋艦隊のニミッツ提督が残している。付け加えれば、真珠湾攻撃で陸戦隊を連れてハワイを占領し、その後速やかにミッドウェー島を攻略していればアメリカは太平洋での行動の場を完全に失っていただろう。
もう一つはミッドウェー海戦の時、南雲中将の判断ミスで空母4隻すべてを失ったことである。米軍が日本海軍の暗号を解読し、作戦を事前に把握していたことは大きかった。しかし、日本側にはなお、空母戦力を中心に米軍を凌駕(りょうが)するだけの圧倒的な戦力があった。問題は、優勢な戦力を生かすための情報収集と索敵、そして刻々と変化する状況に対応する指揮・意思決定の仕組みにあった。
日本軍の最大の特徴は「言葉を奪ったことである」と評論家の山本七平氏がかつて指摘したことがある。日本は弱いから負けたのではない。グランド・ストラテジー(大戦略)を持たないエリートの戦争指導者たちが、第一線の声に耳を傾けず、机上で立案した作戦の数々を推し進めた結果、負けたのであり、環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革する「自己革新に失敗したから(『失敗の本質』)」である。
環境が変われば、昨日までの成功体験は明日の失敗の原因になる。異論を封じ、現場の声を聞かず、過去の成功にしがみつく組織は、いずれ現実に取り残される。戦後81年。尊い命を賭して戦った先人たちの歩みから、私たちが学ぶべき教訓は限りなく多い。







