れいわ新選組を立ち上げた山本太郎前参院議員が代表を辞任した。「個人商店」のような形で党運営を行い、左派ポピュリズムの風を吹かせた。日本の政治にれいわは何を残したのか、検証する。

山本氏は7月9日、辞任会見で反省の弁を述べた。
「国会議員にはもうならない。山本太郎という過去の遺物が横たわるということはあってはならない」
政策よりイメージ戦略
2011年の東京電力福島第1原発事故を受けて反原発活動に関わった山本氏が政界入りに挑んだのは、翌12年12月の衆院選だった。東京8区から無所属で立候補した。元俳優という知名度を生かして7万票余りを獲得したが、次点で落選。13年7月の参院選では東京選挙区から無所属で立候補。66万票余りを獲得し、4位で初当選した。
14年12月の衆院選では、東京8区から立候補した民主党(当時)の候補円より子氏を支援したが落選した。これを機に、小沢一郎党首(同)率いる「生活の党」に入党。同党の政党要件を回復させるとともに、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改めた。
れいわは19年4月に消費税廃止を掲げて発足し、SNSを中心に支持を広げた。山本氏は同年7月の参院選比例区に立候補し、非拘束名簿式の全国比例で「山本太郎」として99万票を獲得した。この選挙では最多の得票だったが落選。ほかのれいわ候補者2人が「特定枠」で当選した。ただ、同党の得票率4・6%が政党要件を満たしたことで党代表に就任し、存在感を示した。
れいわは山本太郎氏個人の人気で成り立っていた。政策の中身よりも見掛け・印象により重きを置くイメージ戦略に傾倒した。都度、「消費税廃止」や「積極財政」といった特定の政策を前面に出す「ワンイシュー」で若者を巻き込んでいった。
れいわには業界団体や労働組合など特定の支援団体はない。山本氏の考えに共感する個人の支持が広がっていった。個人の発信力を生かした街頭活動で支持を拡大した。演説会場で積極的に聴衆とやりとりをする「参加型」の街頭活動を始めた。ライブフェスのような熱狂ぶりで、屋外で公約を発表するなど、サプライズ企画も多かった。
与党が過半数を割った24年の衆院選では、れいわは9議席に伸ばした。地方議員も25年末には約70人まで増えた。

極端な言動で支持者離れ
ところが、山本氏の病気療養発表後に実施された今年2月の衆院選でれいわは1議席にとどまり、惨敗した。その1議席も自民党の比例名簿の候補者が不足したことによる繰り上げ当選だ。共同代表だった大石晃子氏も落選した。衆院選では、山本氏と同様に討論会のルールを無視するなど、傍若無人な振る舞いや極端な言動への批判も強まった。山本、大石両氏が代表を辞任したことは、「事実上の解党」と言われている。
山本氏については7月、速度超過で検挙されたことが発覚した。13年10月の秋の園遊会では、天皇陛下(現在の上皇陛下)に直接手紙を手渡すという礼を欠く行動を取った。こうした言動は国会議員の品格を疑うものだった。
辞任会見では「まずは100%、健康を取り戻すことが私のやるべきことだ」と強調した上で、「やり残したことしかない。実現できなかったことの方が多い」と自虐的に述べた。実現性のない政策ばかりを掲げていたことの裏返しだ。
著述家の加藤文宏氏は、「パフォーマンスの後に何が残り、何をしなければならないか、誰一人として真面目に考えていない。派手なパフォーマンスで願望が実現されたように見せ掛けることが、政治の手段かつ目的と化した」と指摘。れいわ現象は、「政治の幼稚化」と総括している。
(豊田 剛)






