
2026年3月4日、東京高裁は家庭連合の抗告を棄却し、同法人を解散させるという決定を下した。現在、この決定に基づき、家庭連合の清算に向けた手続きがすでに開始されている状況にある。私は宗教法人法や憲法の専門家というわけではなく、思想史的な観点から諸宗教を研究している一介の宗教学者に過ぎない。ともあれ、今回の高裁決定文が私の目にどのように映るのか、簡単な所感を記しておきたい。
高裁決定文は、全179㌻に及ぶ長大なものであり、家庭連合が引き起こしてきた社会問題に関する詳細な分析が行われている。前年の地裁決定文がやや混乱していたことと比較すれば、高裁決定文においては、家庭連合問題に向けた国家対応の方針が明晰(めいせき)かつ丁寧な記述によって示されている。その全体像を要約すれば、以下の通りとなる。
教義の問題点指摘した高裁決定
まず冒頭部では、家庭連合の教えを簡潔に説明し、問題点となる部分を指摘している。すなわち、文鮮明と韓鶴子が「再臨のメシヤ」や「人類の真の父母」と称されていること、神と人との本来の関係を取り戻すための「万物復帰」が目指されていること、韓国は「アダム国家」や「父の国」、日本は「エバ国家」や「母の国」と位置づけられていることなどである。さらに、これから「地上天国の建設」が進められてゆく上で、その中心地となるのは再臨主が現れた韓国であり、日本はその動きを物質的・経済的に支援する役割を果たさなければならない、と説かれていることを問題視している。
そして中盤では、家庭連合のこうした宗教観・世界観に基づき、日本において資金集めが行われた経緯を分析している。具体的には、1980年代から90年代に掛けて活発化した壺・多宝塔・印鑑などの高額販売、いわゆる「霊感商法」の問題と、信徒たちが長期にわたって行ってきた「高額献金」の問題である。
そのなかで特に注目されているのが、「コンプライアンス宣言」前後の教団の変化についてである。周知のように家庭連合では、2009年に起こった「新世事件」を受け、各種の教団改革が開始された。これによって従来の活動形態に一定の歯止めが掛けられ、民事訴訟の発生件数は大きく減少していったのである。
とはいえ高裁は、コンプライアンス宣言の効果に対して強く懐疑的である。決定文の94~97㌻では、教団のマクロな財政状況を捉えるために四つのグラフを掲載し、献金収入・支出・資産・海外送金などの年次推移が明示されている。その大枠は、コンプライアンス宣言前後で根本的な変化を見せておらず、高裁は同宣言に対して、従来の不相当な集金を抑止しようとするものではなく、民事訴訟等の件数を減少させることによって問題を顕在化させないことに重点を置いていた、と厳しく評価する。
決定文の終盤においては、以上の分析を踏まえ、高裁判断の総括が示される。細かな論点は多岐に及ぶが、全体としては、日本人信者による過度な献金・集金に基づき、韓国本部への巨額な送金が行われ続けているという、家庭連合に内在するマクロな構造が問題視されている。この状況に対して高裁は、「一般市民が財産上の利益を侵害されることなく平穏に生活できる社会秩序を維持するという公共の利益が損なわれた」(158㌻)と述べ、家庭連合問題を解決するためには、宗教法人格の剥奪はやむを得ない、と結論づけるのである。
高裁決定文を一読しながら、私の胸に去来したのは、私が初めて家庭連合の教義の輪郭を知ったときに覚えた当惑の感情であった。宗教思想史的な観点からすれば、家庭連合の教義はかなり特異なものに映り、また、この教義が文字通りに実践されるなら、少なからず社会的問題を生じさせることが予感されたからである。高裁も指摘したとおり、家庭連合の教義のなかには、近代社会の重要な原則である諸個人の平等と私的所有権を否定する要素や、日本国民の財産が韓国に流れ込んでゆくという不穏な構造が含まれていることは否定できないだろう。
改宗ネットワークの解明を
「政教分離」や「信教の自由」を確保する方式については、各国によって状況が多様に異なるというのが実情だが、思想史的に振り返るならば、それらの原則を最初に明確化したのは、ジョン・ロックの『寛容についての手紙』(1689年)という著作である。ロックはその思想において、諸個人の所有権、具体的には「生命と財産の保障」を重視する姿勢を示した。そして国家とは、国民の生命と財産を守るために作られた現世的機構であり、来世や精神の次元を扱う宗教的領域とは区別されるべきこと、国家の不用意な干渉を抑止して信教の自由を維持しなければならないこと、を論じたのである。
このようにロックは、近代国家の輪郭を明確化することにより、国家と宗教の基本的な関係、すなわち政教分離と信教の自由という原則を示した。ところが他方、同書の末尾においては、それらの原則を越え、国家が宗教に介入すべきケースについて論じている。詳しい内容は直接同書を参照していただきたいが、簡単に言えば、そこでもロックは国民の生命と財産を守るという点を重視しており、宗教がそれを軽視するような活動を展開する場合、国家は宗教に介入しなければならない、と主張するのである。
ロックの理論を基礎に据えて考えると、家庭連合の教義や実践には、近代社会の秩序を脅かす可能性がある諸要素が含まれていることを指摘せざるを得ない。それらはすなわち、現世的な生命や財産の本来的な所有者は人間ではなく神であり、いずれは神にすべてを返さなければならないという「万物復帰」の教えが説かれていること、「神統一韓国」と称される神聖国家を樹立するために、日本から積極的に送金する体制が取られていること、などである。先に見たように高裁決定文においても、信者を含む一般市民の財産の侵害が問題視されており、その点に関して私は、高裁の判断に同意し得ると考えている。
私は、高裁決定文において、家庭連合が抱える構造的問題を指摘した部分については、その大筋に首肯している。しかしながらそれは、決定文全体の隅々にまで納得している、ということを意味しない。特に疑問に感じられるのは、家庭連合が抱える問題が以上のようなものであるとするなら、果たしてそれに対する最適な解決方法が解散命令になるのだろうか、より正確に言えば、「2026年における日本の宗教法人の解散」が最適解なのだろうか、ということである。
改めて家庭連合問題の原点にまで遡(さかのぼ)って考えれば、その発端は、戦後間もない1950年代に文鮮明によって教団が設立され、日韓を中心とする世界各国に運動が波及していったことに起因する。先に述べたように家庭連合の教義のなかには、通常の宗教思想史的な観点からすれば、近代社会の基礎を脅かしかねない特異な要素が含まれているのだが、こうした教義を提唱する宗教団体が50年代の韓国に出現し、以降急成長を遂げていった背景には、戦前の日韓体制や戦後の冷戦体制に潜む数多くの特殊要因が関係していた、と見なければならないだろう。
後進の研究者である私にとって不可解に思われるのは、家庭連合に内在する問題が一見して明らかであるにもかかわらず、それに対する冷静で正当な批判がなぜ提起されてこなかったのか、また、家庭連合問題は長期にわたって世情を騒がせてきたにもかかわらず、なぜ日本政府はなかなか公的対応に踏み切らなかったのか、ということである。
家庭連合に対する批判は、60年代から早くも提起され始めたが、その基調となったのは、洗脳やマインド・コントロールといった疑似科学の理論、国家権力や諜報(ちょうほう)機関との密かな蜜月を詮索する陰謀論などであった。さらにはそれらを背景として、信者たちを拉致監禁して強制的に棄教させる「ディプログラミング」の人脈が水面下で拡大する事態にまで至った。他方で政府の側でも、日韓関係への配慮や共産主義勢力への対抗という必要性から、家庭連合問題に積極的に踏み込もうとせず、見て見ぬ振りをする態度を維持し続けた。実に2022年の安倍元総理殺害事件とは、こうした奇妙な要因が長期にわたって限界にまで降り積もった末に起こった事象であった、と見なければならない。
高裁決定文も認めているとおり、今回の解散命令が下されるに至った直接的な切っ掛けとなったのは、安倍元総理殺害事件であった。しかし、同事件に対する一審の裁判で明らかにされたように、そこで犯されたのは根本的に道理を外れたテロ行為にほかならず、それを契機として政府が初めて家庭連合問題への対応に動いたことは、行政や司法の関係者のみならず、日本国民全体が矛盾と違和感を、そして何より羞恥を覚えなければならないだろう。また、安倍元総理殺害事件が発生するに至るまでの複雑な背景を考慮に入れれば、私はこの問題の解決が、家庭連合に対する制裁のみによって果たされるとは到底思えないのである。
構造的問題を直視し再発防げ
実は私は、一昨年の末から家庭連合問題に関与することを決意し、昨年以降は何度か近隣の教会を訪れ、礼拝にも参加させていただいている。そこで目にしたのは、利他的で良心的で温和な気質に溢(あふ)れた、全体として高齢化した信者の人々であった。おそらく彼らは、戦後の日本社会で生活するなかで、そこに宗教性や精神性が欠如していることに疑問と空虚さを覚え、ある切っ掛けから家庭連合の教えに触れるようになり、世界に聖性を回復させるための活動に尽力してこられたのだろう。彼らがこれまで積み上げてきた膨大な献金は、その多くがすでに韓国に送られたことも確かだが、日本における友愛のコミュニティーを形成・維持するために用いられてきたことも否定できない。そして、現在開始されている日本の宗教法人の清算手続きは、こうした友愛のコミュニティーを強引に解体することにより、信教の自由の侵害という新たな火種を生み出しているとも予感されるのである。
最後に、簡単に私見を整理しておこう。まず家庭連合の側では、日本において強引かつ不当な集金が行われ、それを韓国本部に送金し続けるという構造的問題が存在してきたことを直視し、こうした問題を再発させないための改革に全力を注ぐ必要がある。おそらくその改革は、日韓の教会の権力関係を変更することのみならず、教義全体を理論的に検証し直すことにまで及ばなければならないだろう。他方で日本社会の側では、家庭連合に対する批判が疑似科学や陰謀論を基調としていたこと、その信者に対して激烈かつ組織的な暴力が振るわれてきたこと、公権力や学界さえ犯罪的な宗教迫害を黙認したことを直視し、ディプログラミングに関わった人的ネットワークの解明と解体を遂行しなければならない。これらの対応が双方で進められていったとき、家庭連合問題は初めて真の解決へと向かうのではないだろうか。






