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【連載】安倍元首相暗殺 裁判を問う (下) 凶行へ向かわせたもの 謎多い直前の標的変更

安倍元首相暗殺 裁判を問う
奈良地裁の前でその日の公判の模様を伝えるテレビ局のクルー=12月3日

 山上徹也被告が世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)への恨みから安倍晋三元首相を銃撃したことには、当初から多くの人が距離感を口にしてきた。検察側も論告で、被告の生い立ちに不遇な点があることは否定しないものの「被告は善悪を判断できる40歳代の社会人で、生い立ちは被害者と無関係」とした。

 被告が安倍氏襲撃に至るまでには、幾つかの飛躍があった。被告は自身の不遇の原因が教団にあるとし憎悪を募らせ、2006年ごろに教会襲撃を決意するに至る。2019年ごろから、被告はSNSなどで教団に対する激しい敵意を表すようになる。10年ほどの間に、被告は『やや日刊カルト新聞』などSNSの反統一教会情報を鵜呑(うの)みにして、憎悪をエスカレートさせていったとみられる。

 被告は21年、安倍氏が教団の友好団体に送ったビデオメッセージを見る。これが安倍氏を襲撃するきっかけになったと当初、報じられてきた。しかし公判を通し、それほど決定的なものであったわけでないことも明らかとなった。

 弁護人にその時の気持ちを聞かれ、「悔しい、受け入れられない気持ち」になったと言い、さらに怒りを感じたかの質問に「困るという感情ですね」としか答えていない。教団と政治の関わりの中心に安倍氏がいるという思い込みは強くなっていったが、憎悪を抱くまでには至っていない。

 被告は事件の前日、参院選の自民党候補の応援で岡山に来る安倍氏を襲おうと決意し、ジャーナリストの米本和弘氏宛てに送った手紙では「安倍は本来の敵ではないのです」と書いている。

 被告は検察側から安倍氏を標的に決めた時期を問われ、確定したのは事件を起こす直前の22年7月に入ってからと答えている。裁判を傍聴した弁護士ジャーナリストの楊井人文氏によると、被告のインターネット検索履歴には6月まで自民党遊説日程について調べた形跡はなく、7月3日になって突然調べ始めたと検察官が指摘している。(月刊Hanada26年2月号)

 同年6月に韓国から幹部が来日したのを見逃したようだが、それを知っていたら襲撃したかとの検察の問いに、被告は「襲撃したと思います」と答えている。最後まで標的は教会の韓国幹部であった。

 被告は22年7月10日にさいたま市の屋内会場で2000人規模の集会が開かれるという情報も入手していた。その詳細を知ろうと、『やや日刊カルト新聞』の鈴木エイト氏に6月30日、「コロナ禍で大規模な集会は控えてきた統一教会ですが、何年ぶりかに活動を始めるのではないかと懸念しております。この大会について参加者等ご存じのことはないでしょうか?」という質問メールを送っている。

 これに対し鈴木氏は「情報提供ありがとうございます。7月10日といえば投票日ですね。6月中旬には世界本部長が来日していました。選挙も近いですし何かあるかもしれません。キャパ2000人規模だと祝福関係かもしれません。私のほうでもチェックしておきます」という返事を送ったことを自身の著書で明らかにしている。

 教会幹部が標的ならなぜ7月10日のイベントまで待たずに、急遽(きゅうきょ)「本来の敵ではない」安倍氏を襲撃することにしたのか疑問が残る。「銃の製造に費用がかかり、経済的に追い詰められた」と語っているが、標的を安倍氏に急遽変更した説明にはならない。

 検察側も論告で、「家庭連合幹部が来日する見込みがなく、あくまでも代替として突発的に被害者を襲撃対象として選定した。理由は最後まで被告から納得できる説明はなく、論理的に飛躍があるといわざるを得ない」と述べている。被告が7月に入って急遽、重大な変更を行った背景には、第三者の何らかの働き掛けがあったのではないかと考えても不思議ではない。

(世界日報特別取材班)

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