
“日本はスパイ天国”――。旧ソ連のスパイ、スタニスラフ・レフチェンコ元ソ連国家保安委員会(KGB)少佐が米国に亡命(1979年)し、自身の諜報(ちょうほう)活動を暴露する中で日本を評して言ったものだ。この言葉が改めて注目された。
スパイ防止法制定が公約争点になった参院選挙の後、「『日本はスパイ天国』という評価及び『スパイ防止法』制定に関する質問主意書」をれいわ新選組の山本太郎代表が提出。これに対し石破茂前内閣は8月15日、「『各国の諜報活動が非常にしやすいスパイ天国であり、スパイ活動は事実上野放しで抑止力が全くない国家である』とは考えていない」などと回答した政府答弁書を閣議決定した。
同法制定の必要性については、「多角的かつ慎重に検討されるべきものと認識して」いると表明。れいわは同法に反対しており、石破前内閣から慎重な言質を取ったと言える。しかし、今臨時国会で政権が代わり、流れは変わった。
わが国は依然として各国のようにスパイを逮捕できない。外国のスパイに日本人協力者が書類を渡す瞬間に警察が踏み込んだ事例もある。典型例は2000年のボガチョンコフ事件だ。同年9月7日に東京都港区の居酒屋で駐日ロシア大使館武官のビクトル・ボガチョンコフ大佐に海上自衛隊のH3等海佐が書類を手渡したところで、客を装っていた神奈川県警と警視庁公安部の合同捜査本部の捜査員らが2人を拘束した。
3佐は逮捕。ボガチョンコフ大佐は任意同行を求められたが、外交官の身分を理由に応じずロシア大使館に車の迎えを呼び寄せて立ち去り、同9日にロシアへ出国した。同大佐は安全保障関係のシンポジウムで3佐と面識を得て、知己の関係を築いた。3佐はロシア情報を専門とし、ボガチョンコフ大佐はロシア軍参謀本部情報総局(GRU)要員だった。情報交換から3佐は次第に海自の秘密情報を持ち出すようになった。

また、1987年の米軍横田基地スパイ事件は、ソ連から1億円を超す資金が流れた大事件だったが、ロシア(ソ連)人スパイを逮捕できなかった。事件は横田基地技術図書室マネジャー(当時、以下同)OがF16戦闘機、F15戦闘機、早期警戒機E3C、E3A、空中給油装置などのテクニカル・オーダー(技術指示書)を軍事評論家Tに売り、Tは「中国技術センター」顧問Dや貿易会社社長Gに売り、Dはソ連、Gは中国のスパイに売り渡した。
4人は同年5月19日、警視庁公安部に窃盗罪、贓物(ぞうぶつ)罪容疑で逮捕された。Dは東京・井の頭公園で在日ソ連通商代表部員(当時)のアクショーノフ氏と接触しているところで逮捕された。公安部はアクショーノフ氏をソ連のスパイ、KGB要員とみて、贓物罪容疑で出頭要請したが、翌20日午前に成田空港からソ連へ出国した。
公安部は同日午後に同氏の逮捕状を取った。他にも複数のソ連大使館員らが事件に関わったが、日本政府当局の出頭要請に応じていない。
当時のマスコミは、Dがアクショーノフ氏から書類と「報酬」を受け渡す連絡場所に指定された東京・谷中霊園の樹木のウロ(空洞)の場所など押収された地図によって詳報した。手書き地図には霊園の区画標識「甲12号1側」「甲新12号51側」で曲がるよう手書きされている。人目に付かない墓地を選んだのだろう。
だが、インバウンドが増えた今日、JR日暮里駅から近い谷中霊園は外国人旅行客が散策する観光スポットになっている。
何組かの外国人と擦れ違いながら地図の通り墓地の中を進むと、10分もしないうちに約40年前にスパイが連絡場所にした大きな木がある。書類を隠したウロにはツバキ科広葉樹の若枝が伸びていた。スパイが逮捕されない国は「スパイ天国」に違いない。
(スパイ防止法取材班)
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