トップ国内戦後80年 「熊本の歴史を後世に」健軍神社で市民塾初開催

戦後80年 「熊本の歴史を後世に」健軍神社で市民塾初開催

健軍神社の境内に建てられた「義烈空挺隊」の顕彰碑=熊本県熊本市東区

 戦後80年の今年、熊本県で1400年以上の歴史を持つ「健軍神社」で、熊本の歴史を勉強する市民塾を定期開催する試みが始まった。県民に熊本の歴史を学ぶ機会を提供したいと考える有志らが主催し、4日に開かれた初回には約30人が集った。郷土歴史に詳しい坂口歯科医院長の坂口倫章さん(66)が講師として登壇し「地元の歴史や先人の偉業を学び後世に伝えることが大切だ」と話した。(竹澤安李紗)

 第2次世界大戦末期、熊本から沖縄に出撃した義烈空挺隊の顕彰碑が健軍神社(熊本市)の境内に立つ。同隊は、沖縄戦で米軍に占領された飛行場に突入した特攻隊だ。この碑には出撃日当日の写真が掲げられている。講演で坂口さんは同隊員の遺書遺文を紹介した。

 田村文人伍長「皇国に生を享け今や25年、父母上様御愛育の下、今日あるを得、此の勇猛無比の作戦に突撃隊の一員として選ばれましたことは、無上の光栄であると共に、小生心中より喜びに堪えません」

健軍神社での市民塾で講師を務めた坂口倫章さん

 阿部忠秋少尉「拝啓 御両親様 忠秋ハ本日敵飛行場二斬込ミマス 生前何一ツモ出来ズ申訳アリマセン (中略) 必勝ヲ信ジ 後二続クモノヲ確信シ 今ヨリ征ク(後略)」

 出撃日当日の写真や映像に残る、明るい表情の隊員たちをどう受け止めるべきか。坂口さんはフランスの作家で文化相も務めたアンドレ・マルローの言葉も紹介した。

 「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわりに何ものにもかえ難いものを得た。これは、世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。(中略)《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが、息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのを黙って見過ごせるものだろうか?》と。私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着も全て乗り越えていさぎよく敵艦に体当たりをした特攻隊の精神と行為のなかに男の崇高な美学を見るのである」

 空襲が激化し大きな被害が出る中、家族を守るために出撃した隊員に「頭が上がりません」と坂口さんは敬意を表した。しかし、熊本には義烈空挺隊を知らない人が多いという。日本人は戦後教育で植え付けられた「自虐史観」を払拭し、「先人の知恵と勇気を学び、日本人としての自信と誇りを回復することが必要だ」と強調した。

義烈空挺隊を「誇りに感じる」
生き方問いかける遺文

市民塾の会場を提供した健軍神社で禰宜を務める|今●《いまうし》誠さん

 「同隊につながりある健軍神社で、参拝する人たちが歴史を学ぶきっかけになったら良い」

 戦後80年という節目に、市民塾の会場を提供した意義を、禰宜(ねぎ)を務める今●(いまうし)誠さんはこう語った。同神社先々代の第61代宮司が遺(のこ)した祝詞箱の中に、同隊の慰霊祭祝詞(のりと)を数年前に発見した。健軍神社が健軍飛行場で慰霊祭をしたことや隊長の奥山道郎大尉の名が記されていたことが判明した。

 今●さんは、「市民塾では今後、日本人の考え方や神話も伝えていきたい。個人主義が蔓延る現代に、国の在り方や、生き方を考える場になることを願っている」と期待を示した。

 市民塾初回には、同隊で散華した隊員の稲津勝さん(当時25歳)の姪・吉野キヨミさん(87)が参加しあいさつした。「以前は義烈空挺隊を口に出したらいけない風潮を感じていたが、こうした勉強会を通して、亡き叔父を誇りに感じる。ありがたい」と話した。キヨミさんが孫の雄志さん(39)を連れてきたのは「歴史を伝えたいから」と明かした。雄志さんは「日本人の素晴らしさを再確認できた」と感想を述べた。

 講師の坂口さんは、阿部少尉の遺文にある「後に続く者」とは「私たち後世に生きる日本人ではないか」と受講者らに問い掛けた。「素晴らしい先人たちに感謝して、先祖を大切にする。その心が、不透明な世の中を切り開く力になる」と訴えた。

 市民塾は2カ月に1回の頻度で開催し、次回は12月7日を予定している。

●=刃の下に一(丑の旧字体)

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