参議院選挙後に編集された月刊誌9月号には、保守・中道・左派問わず参政党の躍進を題材にした論考が並んだ。
同党は日本の歴史・伝統に基づく新しい憲法の「創憲」を主張するとともに、選択的夫婦別姓に反対するなど保守の立場を鮮明にしている。このため、保守論壇に同党への期待を込めた論考が多くなるのは当然である。
例えば、「WiLL」で、九州大学教授の施光恒は「参政党の躍進は、既存政党に対し、日本と日本人のために真に立ち上がる覚悟を問うものだ」と、同党躍進の意義を強調する(「『日本人ファースト』はグローバリズムへの叛旗」)。
「正論」は、新しい歴史教科書をつくる会顧問・藤岡信勝が同党が掲げる「日本人ファースト」について「日本人の誰もがもっているモヤモヤ感を払拭してくれるインパクトがあった」とした上で、「一方で参政党に対する攻撃は凄まじい。しかし、この若い政党を国民が育てていけば、日本国家を担う政治勢力に成長させる事は出来る」と期待感を示した(「参政党に期待する―そうだ、日本人ファーストだ!」)。
施や藤岡の論考に、筆者の分析を加えると、参政党の躍進は戦後80年を経た日本の政界が抱える宿痾(しゅくあ)をあぶり出すことになったと言える。そこで真っ先に挙げなければならないのは、国家観と憲法改正への意欲を失い、またLGBT理解増進法を成立させ、さらには選択的夫婦別姓に明確な反対姿勢を示せなくなったことで顕在化する自民党のリベラル化である。
少子高齢化が著しく、人口減少も進む中、包括的な移民政策を欠き、場当たり的な対応で外国人労働者を増やし、日本らしさが失われていくのを放置してきた政府の不作為もある。参政党は、政府与党に対する鬱積(うっせき)した国民感情を一定程度すくい上げることに成功したのである。
筆者は数日前、暑さしのぎを兼ねて東京・新宿にあるハンバーガー店に入った。外国人観光客が多い土地柄か、店員はほとんどが外国人だった。食べ終わって、トレイを返却しようと思ったが、場所が分からなかったので、店員に「返却はどこ?」と尋ねた。すると、「あっち」と、指さすだけだった。
その瞬間、別のファストフード店(千葉県)での体験がよみがえった。トレーを返却しようと立ち上がったところ、近くにいた日本人店員が「お預かりします」とトレーを受け取ってくれた。新宿の外国人店員の対応の方がグローバルスタンダードなのかもしれないが、「普通の日本人」を自認する筆者は「外国人店員もおもてなしの精神を受け継いでくれたらな」と、ちょっと残念に思った。
これはささいな体験かもしれないが、日常生活の中で抱く不満、国の将来に対する不安などの国民感情は投票行動に結び付くから、国政政党は軽視できないのである。
少なからぬ保守言論人が参政党の躍進を評価するが、現時点では将来への期待を込めた評価であって、現段階では懸念材料もある。有権者の感情に訴えるのは、選挙によって〝民意〟を担保する民主主義の枠内の手法だが、感情には暴走する危険性もはらむ。そこから同党のガバナンスが問われる場面も出てこよう。
今回の選挙で、藤岡が指摘したように、国民の「モヤモヤ感」をすくい上げることに一定程度成功したとすれば、同党への支持は、いわば「空気」による面が大きいのだから、その広がりは一過性で終わる可能性もある。党員・支持者に党の国家・歴史観をどう浸透させるのかも大きな課題である。
中道・左派論壇には、参政党の選挙手法を「ポピュリズム」とする警戒感がある。これに関して、論壇老舗の「文藝春秋」に興味深い論考が載っている。ノンフィクションライター石戸諭の「参政党と日本人ファーストのカラクリ」だ。
「参政党なりの国家観を語り、生活に苦しむ日本人に寄り添う主張には、『それでも日本は大丈夫なのだ』という安心感と独特の高揚感がある」と客観分析する。その一方で「ひとつ指摘しなければならないのは、ポピュリズムに『正しい解』を示す能力はないが、『正しい問い』は発している」と述べた。
既成政党はその問いに答えることができないと感じている有権者が多いが故に、同党が躍進したとも言える。参政党には今後、「正しい解」を国民に示せるかも問われる。
民主主義とポピュリズムは背中合わせの関係で相互作用する。日本語では「大衆迎合主義」と訳されるポピュリズムは排他的な感情を煽(あお)って、全体主義を招くこともある。一方で、既得権益を守ろうとする支配層にくさびを打ち込み民主主義を活性化させるきっかけをつくることもある。有権者の失望を知った既成政党が抜本改革を実行に移し、正しい解を示せるかも問われている。
政治だけでなく有権者も問われている。戦後80年が経過して、国家観や歴史・伝統を軽視してきた教育が国民の間に「衆愚」を広げたとすれば、ポピュリズムは全体主義を招く危険性が高い。この点でも、参政党は「今ならまだ間に合う」というメッセージを発する巧みな選挙戦術を展開した。
参政党の躍進があぶり出したことがもう一つある。政治指導者の不在だ。参院選挙では自民、立憲民主だけでなく、組織政党の公明、共産の退潮も目立った。既成政党が既存の支持層にとどまらず、新たな層に支持を広げることができなかったのは、発信力のあるリーダーがいなかったことの表れとみることができる。
ちなみに、安倍政権の場合は、岩盤保守だけでなく、政治への関心が薄いと言われてきた若者の間の支持率が高かった。安倍晋三という政治家に発信力があったからである。
中央大学教授の中北浩爾は自民、立民両党のリーダーシップの弱さを指摘する一方で、「参政党のポスターやビラのデザインは、従来の右派政党にみられないほど洗練されていて、代表のカリスマ性も強い」と述べている(「参院選で見えた日本政治の地殻変動」=「中央公論」)。既成政党の指導者のリーダーシップが弱い分だけ、神谷のカリスマ性が際立ったのだろう。
これに関して、神谷は興味深いことを述べている。「私への誹謗中傷も酷(ひど)くなっていくでしょうが、これは想定内です。私は〝政界のリトマス試験紙〟として、サンドバッグになって、日本の政治のリアルを皆さんにお伝えします」(「Hanada」=我、かく戦えり)
都議選、参議院選と2連敗しても続投の意思が堅いと言われている首相・石破茂は自民内での石破降ろしの嵐に対して「だったら(代わりの首相は)誰がいいの?」と不快感を示したという(産経新聞8月17日付)。つまり、「俺しかいない」ということなのだが、〝敗軍の将〟が我田引水とも言える自己承認を口にするあたりからは、独善的で自信過剰な性格が垣間見える。これも神谷があぶり出した、リーダー不在という、わが国の政界の現実だ。強いリーダーシップを嫌ってきた戦後日本のツケであろう。
(敬称略)






