
当時の歴史的背景知り理解を
命、家族愛、友情…多くの学び
お茶の生産地として有名な鹿児島県南九州市の知覧町には、沖縄戦の特攻作戦で散華(さんげ)した隊員1036人の遺品や記録を展示する知覧特攻平和会館があり、年間30万人以上が訪れる。ここでは1日に3回、語り部による講話を聞くことができる。「語り部の大切な仕事は特攻隊員の〝心〟を教えることです」。そう話すのは、同館で語り部を25年以上務めてきた川床剛士さん(85)だ。(竹澤安李紗)

鹿児島市街地からバスで1時間19分、セミの声が鳴り響く知覧特攻平和会館の外に展示された、旧陸軍の一式戦闘機 「隼(はやぶさ)」 復元機の前で敬礼するポーズで写真を撮る親子が目に入った。館内には平日にもかかわらず家族連れが多く、特攻隊員が残した遺書や手紙を読んですすり泣く婦人の姿も見られた。
1940(昭和15)年、知覧で生まれた川床さんは、30年以上務めた陸上自衛隊を退官。その後、地元の建設会社を定年退職する際、南九州市の役場から「語り部にならないか」と声が掛かった。特攻隊や戦争の歴史を後世に伝えることは、戦死した川床さんの父親の思いを伝えることにもなり、それは自分の使命だと思い、語り部になることを決めた。

語り部を務めて25年、特攻隊について見識を深めた川床さんは、「当時の歴史的背景から特攻隊員を見ることが大切だ」と強調する。
近ごろ来館者の意識が変わりつつある。川床さんは学生から「もっと本音を書いた遺書はないんですか」と聞かれたことがある。国のために命を捧(ささ)げるという言動が理解できないのだ。国のために命を捧げる人はいないはずだと決め付ける人には、「あなたたちが特攻隊員の心を本当の意味で理解するには、80年前にさかのぼって、当時の教育や社会、文化がどんなものか勉強しないと分からないよ」と伝えているという。

当時、特攻隊員の心のベースになっていたのは、『平家物語』や『太平記』など古典や武士道、宗教では儒教や仏教があった。語り部の仕事についてこう語る。
「事実を正しく伝えることにおいて、美化してもいけないし、反対に悪く言う必要もない。特攻隊員の遺書を理解するために、自らも歴史的背景の理解に努めた。その上で彼らの思いを解説すればこそ聴く人の心を感動させることができる」
さらに、川床さんは当日の客層によって、講話の内容を変えている。昭和の年号が分からない若い世代には西暦で説明したり、婦人が多ければ特攻隊員の母の話を取り入れたりと、日々、工夫を凝らしている。その裏には「特攻隊員の心を分かってほしいという思いと、講話を聴いた一人一人が心の糧を得て自分の人生に役立ててほしいという思いがある」と打ち明ける。

戦死した特攻隊員の記録を見ていくと、どうしても来館者には悲しみが大きく残る。しかし、川床さんが伝えるのは戦争の悲惨さだけではない。「起こってしまった戦争は確かに悪いけれど、起こってしまった戦争から何か学ぶ姿勢が大切だ」と訴える。
命の尊さ、親子の絆から家族愛、友情まで、戦後80年経(た)っても、特攻隊員の背中から学ぶことはたくさんあると語る。「ここは心の道場だよ。困ったことがあったらここに来て、彼らの生きざまから何か学んで帰ったらいいよ」と伝えている。
この日、同館で語り部の講話を聴きに集まった約50人を前に川床さんはこう語った。
「今から80年前、皆さまのおじいさん、その上のおじいさんの時代に、明日を生きようにも生きることができなかった時代に思いを致し、どうかこの方々の分まで充実した素晴らしい人生を全うしていただけたらと願う次第です」






