
「高齢信者孤独死の懸念も」
杉並 毎日100人以上が交流
東京都杉並区のJR西荻窪駅から徒歩12分。アンティークショップや昭和を感じるパン屋など個性的な店が立ち並ぶ人気エリアを抜けた住宅街にピンク色の壁で4階建ての建物が見えてきた。入り口に「宗教法人世界平和統一家庭連合杉並家庭教会」と書かれた大きな看板が立っている。
正面玄関を入ると、机とイスが置かれたロビーには婦人が5~6人ほど談笑していた。所属信者約700人の杉並教会の建物は、15年前に法人が買い取った。日曜日に礼拝が行われ、平日でも100人ほどが出入りする賑(にぎ)わいだ。
しかし、家庭連合解散が決まれば、清算手続きで失われる可能性がある。
同教会の責任者で教会長の横川洋介さんは、「教会がなくなることは、礼拝の場所がなくなるだけといった単純な問題ではない」と主張する。信者が亡くなった際に行われる「聖和式(葬式に相当)」や祈祷(きとう)会など宗教行事は、一般の施設では規則で禁止されて借りることができない懸念がある。さらに「最も大きいのは教会施設で形成されたコミュニティーが失われることだ」と指摘した。
横川さんは「信徒の皆さんを見ると、たとえ教会という施設がなくなったとしても、皆さんの信仰心は変わらないだろう」と述べる一方、「教会施設がなくなることで交流ができなくなり、コミュニティーが失われる」ことを問題視した。教会がなくなれば、基本的な宗教行為は家庭で行われることになる。が、家族全員が信者でない場合、「家族の理解を得られていない信者にとっては家庭内の活動には限界がある」と強調する。

同教会古参の女性信者は、「家族の理解を得られていない信者にとって教会が心の拠(よ)り所となっている」と説明した。
高齢の信者も同様だ。横川さんは「高齢の信者が多く、孤独死が増加するのではないか」と危惧している。配偶者に先立たれた単身の高齢信者は、月2~3回、教会に来ることで信者同士で様子を確認できる。しかし、教会がなくなれば誰も知らない間に孤独死し、「気付いた時には無縁仏として無縁墓地に移されてしまわないか」と心配した。
6月中旬の日曜、杉並教会に所属する青年たちの集会が行われた。礼拝とは別に、「復興会」と呼ばれ、青年信者らが月に一度催すという。この日、20代~30代の社会人の男女約15人が参加。車を連ねて埼玉県北部の河川敷に移動し、パークゴルフで笑い声が周囲に響くほど和気あいあいと楽しんでいた。
プレーの合間に、解散命令について聞いた。
「教会は私の人生の一部で、教会がなくなることは想像ができない」
田中咲さん(仮名、22歳)は強い反発を示して語った。田中さんは、フィリピン人の父親と日本人の母親の下に生まれたいわゆる宗教2世で、現在は家庭連合職員1年目として杉並教会で働いている。
田中さんは高校2年生の時、「転機」が訪れたという。父親が目の前で倒れた、脳出血だった。一命は取り留めたものの、半身麻痺(まひ)となり、一家の生活はガラリと変わってしまった。
周りの家庭と比べて、「なぜ自分の父だけがこうなってしまったのだろう」とやるせない思いを抱いたこともあったという。悲しい思いにのみ込まれず、頑張ろうと思えたのは「教会の2世が集まる居場所があったから」。田中さんにとって不遇な時期の「心の拠り所」だったに違いない。
田中さんは、「たとえ(杉並)教会がなくなっても信者らの関係が消えることはない」と説明するが、「将来、信仰をもって交流する場所や環境がなくなることはあってはならない」と訴えた。
(信教の自由取材班)
【連載】信者の拠り所はどこへ 家庭連合解散問題と法人施設(1)





