清算、「財産奪うのと同じ」
60年越しに叶った教会献堂―郡山
世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)の解散を巡る審理は東京高等裁判所に移った。高裁で解散を命じられた場合、最高裁の判断を待たずに、財産を整理する清算手続きが即時始まる。そうなれば信者たちが礼拝などの宗教活動を行う教会施設が失われる可能性があり、信者らは自分たちの拠(よ)り所がなくなるのではないかと懸念を強めている。(信教の自由取材班 )
福島県の中央に位置する商業都市・郡山市に、昨年11月24日、家庭連合の施設が完成した。郡山駅から車で10分、平屋の「郡山教会」は廃業した温泉施設を再利用した建物だ。駐車場は広い。
高齢の信者が多いことに配慮して靴を脱がずに入館できる工夫を自慢げに話しながら案内する教会職員の廣川淳也さん(54)は、「新しい教会は60年越しに叶(かな)えた信者みなの夢だった。できたばかりの教会を奪わないでほしい」と語り、唇を固く結んだ。

3月25日、文部科学省の家庭連合に対する解散命令請求について東京地方裁判所は解散命令を決定した。決定文には、信教の自由について「解散命令によって宗教法人が解散しても、信者は、法人格を有しない宗教団体を存続させ、あるいは、団体又は法人を新たに適正な形で結成することが妨げられる効果があるわけではなく、宗教上の行為を行い、その用に供する施設や物品を新たに調えることが妨げられるわけでもない」と書いている。
だが、宗教法人法によると、解散決定後の清算手続き中、法人が所有する不動産では宗教活動が原則できない。さらに債務を完済させるに当たり法人名義の不動産の売却が必要となる場合、教会施設が没収される可能性がある。このような境遇になることについて地裁決定は、信者らの宗教行為に「支障を生じさせることがあり得る」と述べているが、その「支障」は信教の自由の根幹に関わる問題ではなかろうか。神道も仏教もキリスト教もイスラム教も、神社、お寺、教会、モスクがあるから信仰が成り立つ。
郡山教会は、2023年秋に廃業した温泉施設を買い取り、温泉で傷んでいた壁を全て取り壊し、鉄骨の骨組みだけ残した状態から1年の歳月をかけて改築を行った、新築同然の建物だ。駐車場を含めると1500平方㍍以上の広い敷地に、全体の4分の1を占める教会施設は200~300人を収容できる礼拝堂・講堂と、30人が談話できる見晴らしの良いカフェスペースがある。

完成後、郡山教会は周辺地域や近隣住民の理解を得るため、「うわさの統一教会をのぞいてみませんか?」と書いたチラシを1000枚配り、教会見学イベントを開催した。若い信者からも「人を連れて来たい教会になって嬉(うれ)しい」という声が上がったという。
以前の建物は、現在より半分の広さで、トイレが一つしかない古い建築物だった。郡山教会信者のほとんどが新しい建物を求め、教会職員は数年前から不動産を探していたが、なかなか家庭連合に売却を承諾する不動産屋が現れなかった。やっとの思いで探し出した現在の施設に移動した昨年11月、「信者たちはみな最高の思いだった」と廣川さんは振り返る。
改築に当たり、床のフロアタイル貼りなどの簡単な作業は信者自らの手で行った。一枚一枚、信者が協力して貼り、少しずれているところもある。手作業が加えられていることから「愛着がある」と信者らは口をそろえる。
献堂のために献金した信者の伊集院孝さん(72)は「この建物が法人名義で本部の持ち物であったとしても、現場からすると、われわれの教会だ。信者一人ひとりが、新しい立派な教会のために一生懸命働いて捧(ささ)げたお金で建てた建物を奪うのは自分の財産が奪われるのと同じ気持ちでやるせない」と切実な面持ちで訴えた。決定文は「新たに調えることが妨げられるわけでもない」と書くが、再び財産と労力を費やす負担は信者らにとって容易ではない。



【連載】信者の拠り所はどこへ 家庭連合解散問題と法人施設(2)






