
はなはだ残念である。裁判官はあるべき社会の在り方を判決の中に込めて判決を下すのが職務だから、もう少し、信仰の自由とか政教分離について考えて欲しかった。
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宗教法人法は、信仰の自由のもと、宗教的結社の自由を保障するために制定したものであり、宗教活動の自由を最大限に保障するためのもので、解散命令は安易に出せないようにすることを副次的な目的としており、そのことは本法の制定過程に遡っても容易に見届けることができることである。したがって、今回進められた解散命令への手続は、宗教法人法の本来前提にしたものではない。
すなわち、宗教法人を監督する文部科学省にあっては、文科大臣単独の意思によってではなく宗教法人審議会の審議を経て、さらに裁判所に請求して、解散命令は裁判所の審理を経て裁判所が出すという手続きは、解散命令を容易に出させないようにするためのもので、宗教法人法のそのような副次的目的に基づくものである。
よって、これまでの解散命令が出た例のように、事実上は宗教法人が犯罪を犯した場合においてしか解散命令は出しえないものである。
民事も全く解散命令の事由にならないことはないが、それは民事訴訟における敗訴が続き、監督官庁(文科大臣)の指導を経てもなお民事紛争が収まらないときに、文科大臣は宗教法人審議会の審議を経て裁判所に請求して、その上で裁判所が是としたとき初めて解散命令を出しうると解すべきものである。
裁判所の解散命令に関わる審理は、非訟事件として行われる。非訟事件とは、裁判所による一種の行政行為であり、それ自体は公開の裁判ではなく、したがって非公開で審理が進むのは当然である。だが非公開の行政行為としての解散命令だけで解散にできるとすれば、今回の旧統一教会の側からすれば、公開の裁判を受けないで解散させられることになるから、憲法第32条の裁判を受ける権利を享受できないままに解散させられることになる。
したがってこの手続だけで解散させることは、憲法違反になるといわなければならない。
今回の解散命令請求を受けた東京地裁は、解散命令を出す場合は、裁判に訴える自由のあることを宣して解散命令を発するべきであろう。他方、旧統一教会にあっても、民事にあっては何人も自ら裁判所に訴えを起こす自由を有しているのであるから、裁判所より解散命令が出た場合は、直ちに公開の裁判を求めて同裁判所に起訴すべきものと思われる。
最後に今回の解散命令に関し、文科省の提出した被害者と名乗る人の陳述書は内容が杜撰であり、時期の限定もなく集められており、証拠能力において欠損が著しい。したがって、文科省の提出したこれら陳述書を根拠として解散命令を出すのは、証拠能力の点からも大いに疑問があり、公開の裁判で、文科省の提出したこれら陳述書の公開を求め、解散事由についても国民一般が知りうるように審理すべきである。