トップ国内海がつくった国際都市『神戸歴史散歩』上梓 神戸史談会会長・生田神社名誉宮司 加藤 隆久氏に聞く【持論時論】

海がつくった国際都市『神戸歴史散歩』上梓 神戸史談会会長・生田神社名誉宮司 加藤 隆久氏に聞く【持論時論】

かとう・たかひさ 昭和9年岡山県生まれ。甲南大学文学部卒業、國學院大學大学院文学研究科専攻修士課程を修了し、生田神社神職の傍ら大学で教鞭(きょうべん)を執る。神戸女子大学教授、生田神社宮司を務め、現在は名誉宮司。神社本庁長老。文学博士。神戸女子大学名誉教授。兵庫県芸術文化協会評議員、神戸史談会会長、世界宗教者平和会議顧問などを兼務。著書は『神社の史的研究』『神道津和野教学の研究』『よみがえりの社と祭りのこころ』他多数。
かとう・たかひさ 昭和9年岡山県生まれ。甲南大学文学部卒業、國學院大學大学院文学研究科専攻修士課程を修了し、生田神社神職の傍ら大学で教鞭(きょうべん)を執る。神戸女子大学教授、生田神社宮司を務め、現在は名誉宮司。神社本庁長老。文学博士。神戸女子大学名誉教授。兵庫県芸術文化協会評議員、神戸史談会会長、世界宗教者平和会議顧問などを兼務。著書は『神社の史的研究』『神道津和野教学の研究』『よみがえりの社と祭りのこころ』他多数。
神戸史談会会長の加藤隆久・生田神社名誉宮司が同会創設120年に当たり、本年1月『神戸歴史散歩』(アートヴィレッジ)を上梓(じょうし)した。神戸を「海がつくった国際都市」とし、「五色塚古墳から平清盛の大輪田泊(おおわだのとまり)、勝海舟の海軍操練所を経てポートアイランド、世界最長のつり橋・明石海峡大橋へと発展。世界から多くの人々が渡来し、いくつものドラマを生みながら国際都市になった」と古代から現代までを俯瞰(ふかん)する内容になっている。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

――神戸史談会の歴史は。

明治38年、平清盛の「雪の御所」跡の発見を機に、神田(こうだ)兵右衛門、福原潜次郎ほか有志数名が、「郷土に対する知識・研究の交換に加え、これを一般に普及し、郷土文化を守ることが新興神戸の都市には必要」との趣旨で設立しました。同年9月の「第一回郷土史参考品展覧会」を皮切りに、郷土歴史展覧会や歴史絵はがき発行、古書宝永版『兵庫名所記』の出版、史跡の整備や指定の陳情、石碑や石塔の建碑、機関誌の発行や歴史講演会などを行ってきました。

その間、昭和13年の阪神大水害、昭和20年の神戸大空襲、平成7年の阪神・淡路大震災、令和元年からのコロナ禍も乗り越えてきたのです。

――新著を出されたのは。

神戸史談会の趣旨は、史跡を訪ね歩き、歴史文化を肉声で聞き、そして歴史書を読み、心相通じる人々と語り合うことで、より有意義な生き甲斐(がい)を求めることにあります。設立120年を機に海と山がつくった国際都市神戸を改めて探訪し、変貌してきた歴史の姿を書き残したいと考えたのです。

――今年は阪神・淡路大震災から30年になります。

平成7年1月17日、私は「えびすさん」の行事で疲れ、兼務社で寝ていました。午前5時46分、激しい揺れに叩(たた)き起こされ、生田神社に帰ると拝殿が獣が伏すように倒壊していたのです。「こりゃもうだめや」と思い、茫然(ぼうぜん)自失の状態だった私の脳裏に浮かんできたのが、滋賀県の多賀神社、岡山県の吉備津彦神社、生田神社と3社の復興に取り組み、「造営の宮司」と呼ばれた亡き父・錂次郎(りょうじろう)です。「あんたは日ごろから、神社は地域のコミュニティー・センターや言うてるやないか。生田神社を支える神戸(かんべ)44戸が神戸という地名の由来になった神社が、倒壊したままでいいのか」という父の声が聞こえてきたような気がしました。

それで心を切り替えると、「やらなあかん」という使命感が湧いてきたのです。その時詠んだのが、「かにかくに氏子や父の建てし宮 復興にむけ燃え立つ我は」です。私の呼び掛けに、アメリカのロック歌手シンディ・ローパーさんも駆け付け、着物姿で節分の豆まきをしてくれました。氏子をはじめ神戸だけでなく全国、全世界の皆さんの応援を受け、「がんばろう神戸!」を合言葉に1年半で再建できたのです。

――著書のグラビアの初めに、五色塚古墳から明石海峡大橋を遠望する写真があります。

神戸市垂水区五色山にある五色塚古墳(千壺(せんつぼ)古墳)は4世紀後半に築造された県下最大の前方後円墳で、明石海峡とそこを行き交う船を見下ろすような場所にあり、海上交通の要衝にあることから、海との関わりが深い有力者の墓と考えられています。国指定の史跡で、神戸市が昭和40年から10年の歳月をかけて整備・再現されました。

国内初とも言える巨大古墳の復元整備を構想したのは、当時、文化財保護委員会(現・文化庁)にいた考古学者・坪井清足(きよたり)で、当時、建設省(現・国土交通省)で議論が始まっていた明石海峡大橋と、古墳の荒廃を嘆く地域住民の声から、古代技術の粋を集めた五色塚古墳と、現代技術の粋を集めた明石海峡大橋とを見比べられるよう整備したのです。

――明石海峡大橋はNHKの「新プロジェクトX~挑戦者たち~」で昨年5月11日に放映されました。

建設途中に阪神・淡路大震災に見舞われ、震源は明石海峡の真下でしたが、地殻変動により橋の全長が1㍍延びただけで、被害はほとんどありませんでした。最も心配された300㍍の主塔は40㌢傾いただけで、安全の範囲に収まっていたのです。地震で延びた1㍍は橋桁の設計変更で対応しました。

地震発生の前に、世界初のヘリコプターによるパイロットロープ渡海で張られたメインケーブルが、2本の主塔を両岸から引っ張っていたので、マグニチュード7.3の大地震でも倒れなかったのです。もし、メインケーブルが張られていなかったら、主塔は倒れていたかもしれません。明石海峡大橋は天にも守られていたのでしょう。

大橋が着地する神戸側の舞子公園にあるモニュメント「夢レンズ」には「人生すべからく夢なくしてはかないません」という、戦前、明石海峡大橋の架橋を提言した原口忠次郎元神戸市長の言葉が刻まれています。

――カバーに描かれているのは大輪田泊を整備した平清盛ですね。

神戸港の昔の名前が大輪田泊で、奈良時代に行基が開いたとされる播磨・摂津の五つの港「摂播五泊(せっぱんごはく)」の一つです。日宋貿易の拡大を目指す清盛は、兵庫の山手にある福原に居を構え、そこから約2.5㌔南にある大輪田泊を整備して、大型船が入港できるようにし、さらに福原に遷都しました。

大輪田泊は古代から中国や朝鮮の使節が立ち寄る港でしたが、強風と荒波を防ぐには沖合に突堤を築く必要があり、清盛はJR兵庫駅の北にある塩槌山(しおづちやま)を切り崩し、その土砂で人工島を造ったのです。

現代のポートアイランドに匹敵する平安時代の大規模プロジェクトで、清盛は国際貿易港神戸の生みの親でもあります。ですから「驕(おご)れる平家」と評判の悪い清盛ですが、神戸市民は昔から清盛を敬愛していました。

【メモ】国際都市神戸を象徴するのが三宮駅の北側にある北野異人館街で、観光スポットとしても人気。故国を離れ、海を渡ってきた外国人たちが、海の見える高台に邸宅を構えたことから形成された。彼らの心の拠(よ)り所となった宗教施設も数多く、日本初の神戸ムスリムモスク、日本唯一のジャイナ教寺院、ユダヤ人が集まる神戸シナゴーグ、ロシア正教の神戸ハリストス正教会など国際宗教都市の様相を呈し、歴史散歩ならぬ宗教散歩も楽しめる。

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