文部科学省が世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)に対する解散命令請求のため東京地方裁判所に提出した証拠となる陳述書に捏造(ねつぞう)があると本紙が報道した問題について、元武蔵野女子大学教授の杉原誠四郎氏に聞いた。(信教の自由取材班)
――本紙が1月21日付で報じた通り、家庭連合の解散命令請求をした文科省が、証拠として裁判所に提出した陳述書について実は被害者とされている本人が書いていない上に、事実に反する、虚偽があるという情報が複数あることをどう思うか。
このようなことは当初より十分に予想されることだった。
もともと、文科省は東京地裁に家庭連合の解散請求をした際、被害規模として人数と総額を発表したが、それは自ら「被害者」だと名乗る人が申告したその「被害額」の合計だ。

通常の刑事事件の場合と比較して考えるとよく分かるが、検察官は犯罪を証明するために証拠を集めるが、集められたものを直ちに全て証拠とするわけではない。証拠として成り立ち得るかどうか、証拠能力、証明力を審査した上で、十分に証拠として成り立つものを証拠とする。
しかし、今回の文科省の解散請求の事由として集められた証拠は、証拠能力を検証する手段を持たない文科省が、「被害」として申告した者の「被害」を集計してそのまま証拠として裁判所に提出したものだ。だとすれば、被害者とされている本人が書いていないのに陳述書が出ているとか、事実に反する虚偽が書いてある陳述書があるとかいうことは十分に予想されることで、驚くに値しない。
そうしたものを解散事由にして解散命令を要請するのは、行政行為としては明らかに逸脱だ。このような公正でない集め方の証拠で、解散請求できるのであれば、信仰をやめた元信者や、信者の関係者の申告する「被害」が全て解散事由になる。
とすれば、現在、存在する宗教法人では、どれだけ多くの宗教法人が解散請求の対象になるだろうか。要するに、今回の家庭連合の解散を請求する文科省の証拠を集める手続きは、本来、宗教法人法が予定していないものと言わなければならないということだ。
――本紙報道について参院議員の浜田聡氏が質問趣意書で文科省に事実確認を求めたが、文科省は答えなかった。誰も分からない非公開の審理についてどう思うか。
東京地裁が文科相の解散請求を受けて審理しているのは、「非訟事件」としての審理だ。審理の過程は通常の意味では裁判ではないから、非公開であっても仕方がない。手続きの非公開は「非訟事件手続法」でも言われている。
しかし、このような非公開の非訟事件として解散させられると、憲法第32条の公開の裁判を受ける権利を与えられないままに解散させられることになるから、明らかに憲法違反となる。
なお、浜田氏の質問趣意書に文科省が答えなかったというが、文科省の宗教審議会の審議は機微を有する問題である故に非公開にするということは一応許されている。が、その出した結論の根拠になるものに虚偽のものが含まれていたとすれば、やがて大問題になるだろう。それにしても不信をかこつのは、宗教審議会だ。宗教審議会には何人もの宗教者が加わっているのに、このような杜撰(ずさん)な資料を基に、解散請求を承認したのは由々しき問題だ。
――本紙の取材した一つのケースでは活発に活動し、献金もしてきた家庭連合の信者が90歳を過ぎて体も不自由になったところで、陳述書の内容を理解しないままに署名をしたもようだが。
陳述書の取り方に一切習熟してない文科省の職員によって作成された陳述書に、このようなケースのものが含まれるであろうことは、驚くに値しない。
先ほども述べたが、このように杜撰な陳述書を証拠として解散請求をすれば、やがて大変な問題になるということだ。そして結果として公開裁判を経ないでなすことになることも含めれば、本当に大問題になるだろう。
――家庭連合の高齢信者の中には献金の返金は求めないと念書をしたためた人がいる。子供のうち信者になった者と反対する者がおり、反対した者が起こした返金訴訟で一審、二審は家庭連合側が勝訴したが、親の死後、昨年7月に最高裁は高裁に差し戻した。このケースは家庭連合以外の多くの宗教団体に波及すると予想されるが。
昨年7月11日に、最高裁が返金を求めないという念書を無効とした判決を出した。概要はこうだ。家庭連合の信者であったAさんという高齢の女性は、それまでに長きにわたって行った家庭連合への高額の献金について、2015年11月の時点で、家庭連合に対し、欺罔(ぎもう)、強迫又は公序良俗違反を理由とする不当利得返還請求や不法行為に基づく損害賠償等を求めないと記載した念書を、公証人の認証を得た上で家庭連合に出した。
Aさんは16年の5月の時点で、アルツハイマー型認知症と診断され、3人いる娘のうち長女が任意後見人となることを申請し長女は任意後見人となった。その後、17年3月に、Aさんは返金を求める本件の訴えを起こした。が、本人は21年7月死亡した。
長女は、返還された献金は全て長女に遺贈する旨の遺言書をAさんの生前に書かせ、その上で、長女が訴訟を続けた。東京地裁、東京高裁の判決はいずれも訴えを却下していた。それを経て最高裁判決となったが、最高裁の判決は生前に作成した「返金や賠償を求めない」とする念書は無効だというものだ。そして被告家庭連合側勝訴の二審判決を破棄し、審理を東京高裁に差し戻した。
この最高裁判決の問題は、まず、信仰をしていたら合理的な判断ができないとして無効の理由を述べている。そしてそのような献金や念書を書かせるような行為は「公序良俗に反する」行為だとして、その説明を22年12月、家庭連合問題で喧騒(けんそう)を極めている中、議員立法として制定された「法人等による寄附の不当な勧誘の防止等に関する法律」の条文をもって説明している。
これは法治主義、法の支配の重要な原則である遡及(そきゅう)禁止の原則を侵している。法の支配、法治主義の下、法学の極めて初歩の原則である遡及禁止の原則を、最高裁が踏みにじるとはどういうことか。
たとえAさんが認知症であったとしても、より軽症であった時の「念書」が無効で、認知症がより進んだはずの時点の訴訟で、しかも返金を長女が独占するという遺言書を有効とするのは、あまりにも公序良俗に反した判決だということになるのではないか。
――家庭連合への解散命令請求をどう見るか。今後、家庭連合はどうあるべきか。
結局は、現在の解散命令への手続きは、宗教法人の解散を定めた宗教法人法の前提から外れた手続きだということだ。
家庭連合について具体的にいうと、家庭連合は刑事事件を起こしていない。安倍元首相が暗殺され、旧統一教会のことが問題になった時に、当時の岸田文雄首相によって、間違った判断がなされた。安倍元首相の暗殺は、本来はテロと見なされるべきで、それを追及するのが重要であるにもかかわらず、容疑者が言ったとされる旧統一教会への恨みが、マスコミなどでセンセーショナルに報道されると、そのマスコミからの追及に応えて、岸田首相は宗教法人の解散理由に民事事件も入ると解散事由の範囲を広げてしまった。これは政治的には許されない典型的なポピュリズムだ。
宗教法人法第81条の「解散」の本来の意図は、行政府の判断だけで解散をすることを危険視し、裁判所の承認を得る必要があるとし、そのために行政府が解散に相当すると判断したとき、裁判所に解散の請求をして、その上で裁判所が解散に値すると確認して裁判所が解散命令を出すようにしたものだ。そしてその際、宗教審議会の審議もかけなければならないという丁寧さをさらに加えた。
故に解散に関して行われる裁判所の取り扱いは、裁判ではなく非訟事件として扱うとした。それは、宗教法人が犯罪行為などを行って公開の裁判を受けて刑が確定し解散事由が明瞭であるとき、そのことを裁判所が非訟事件として確認するにすぎないからだ。
民事の場合で言うと、民事裁判で何度も違法行為だと判断する確定判決が続き、その上で宗教法人管轄の文科省が何度も是正を勧告したにもかかわらず、民事紛争が無くならず、違法行為とする判決が続くとき、そのような判決を根拠に文科省は解散命令の申請を裁判所に行うことはできる、というものでなければならないはずだ。そしてその場合のみ、裁判所は非訟事件として非公開の審理をし、解散を可として解散命令を発することが可能ということになる。
しかし家庭連合の場合、09年にコンプライアンス宣言をし、それ以降民事紛争は激減している。従って、民事からの解散請求は事実上不可能だ。
しかるに、もし今回、東京地裁で解散の決定がなされて解散命令が出た時には、東京高裁に控訴することも可だが、それは止めてその元となった文科省の解散命令申請という行政行為が違法であると東京地裁に行政訴訟を起こすことが可能だと思う。憲法上、違法な行政行為には行政裁判を起こす権利が国民および私的法人にはあるわけだから、可能だと思う。そしてそこで、文科省が解散命令要請のために東京地裁に提出した解散事由としてまとめた資料の公開を求めればよいと思う。そうでないと、家庭連合は日本国憲法の下、まさに裁判を受ける権利を奪われたまま解散命令を受けることになる。これは明らかに憲法違反だ。
家庭連合としては広報活動を活発化し、やはり家庭を尊重していることを世間に広く訴え、真実の姿を理解してもらうように努力すべきだ。そして国連をはじめ、国際的にも解散命令が政教分離違反になると訴えるべきだ。また、創価学会の場合と同じように宗教は理想の国家や社会の建設を求める故に政治家に近づくことは、宗教にとって自然権のようなものだと訴えるべきだ。