神々の和合の地 奈良県桜井市
ヘビは暮らしの守り神
「巳の神杉」に卵を供える参拝者
巳(み)年の今年、境内にヘビを祀(まつ)る「巳の神杉(かみすぎ)」がある奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)は初詣客で賑(にぎ)わった。筆者は学生時代、近鉄天理駅から桜井駅までの「山の辺の道」を友達と歩いた時、神杉に白い青大将がいるのを見る幸運に恵まれた。
小学生まで暮らした麦わらぶきの我が家には青大将が住み着き、ネズミを捕ってくれると家族で大事にしていたからだ。奈良ではヘビのことを「巳(みい)さん」と呼び、巳の神杉の祭壇にヘビの好物の卵を供える参拝者も多い。
『古事記』によると、出雲国で国造りに励んでいた大国主神(おおくにぬしのかみ)が、協力者の少彦名命(すくなひこなのみこと)が常世国に去ったため1人で思い悩んでいると、海を照らして現れた神が、「吾はお前の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)…、吾は大和国、三輪山に住みたいと思う」と言った。そこで、大和の国を青垣のように取り巻く東の三輪山に祀ったという。それが大物主神(おおものぬしのかみ)で、大国主神の子孫との説もある。三輪明神とも呼ばれる大神神社は三輪山そのものをご神体としており、本殿はなく、拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝むようになっている。古来の祭祀(さいし)を今に残す日本最古の神社の一つである。三輪山には古代の磐座(いわくら)があり、普段は禁足地で、登拝には事前の申し込みが必要だ。
『日本書紀』では、崇神(すじん)天皇が自然災害に加え疫病の流行に悩まされたとき、夢枕に大物主神が立ち、「大田田根子(おおたたねこ)をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」と告げた。天皇が大田田根子を捜し出し、三輪山で祭祀を行わせたところ、災害も疫病も収まったという。大田田根子は三輪氏の祖となった。
また、大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそびめのみこと)が、夜にしか来ない夫に「姿を見たい」と願ったところ、大神は姫の櫛笥(くしげ)の中に美しい小ヘビの姿となって現れたという。大物主の本体がヘビなのに驚いた倭迹迹日百襲姫命は、倒れた拍子に箸が陰部に刺さり亡くなる。大神神社の近くにある箸墓古墳が彼女の墓とされる。
雄略天皇が「三諸岳(みもろだけ)の神の姿が見たい」と言われ、家来が捕まえてきたのが大ヘビであったとの話もある。三角錐(すい)の形をした三輪山は、ヘビがとぐろを巻いた姿と見られてきた。
大物主は国造りの神として、農業、工業、商業をはじめ方除(ほうよけ)、治病、造酒、製薬、禁厭(まじない)、交通、航海、縁結びなどのご利益があると言われ、あらゆる暮らしの守護神として尊崇されている。とりわけ古代で重要な農業で、ヘビは大切な水の神として信仰されてきた。さらにヘビの脱皮は再生をイメージさせ、命の再生を願う人々の信仰を集めたともされる。
日本宗教史において三輪山信仰が重要なのは、当地で出雲系神話と大和系神話が統合され、天照大神を皇祖神とする天皇家の物語の始まりだから。神々の和合に時を合わせたかのように渡来した普遍宗教の仏教を、当時の日本人は基層にある神道の世界観に合わせて受容し、聖徳太子らがそれを古代国家づくりに活用した。その過程で生まれたのが神仏習合という信仰形態で、ヨーロッパに広まったキリスト教が土着のゲルマン信仰などを排除したのとは対照的だ。大神神社の禁足地と周辺からは、古代人の暮らしを伝える勾玉(まがたま)や土器などが出土している。
明治20年、日本の文化財を調査したフェノロサがその美しさを称えた聖林寺(しょうりんじ)の国宝十一面観音は、江戸時代まで大神神社の神宮寺・大御輪寺(だいごりんじ)の本尊だったのが、明治の神仏分離で近くにある同寺に移されたもの。そんな歴史を思い浮かべながら、山の辺の道をまた歩きたい。
(文・多田則明)