トップ国内「創造的復興」へ正念場 能登半島地震から1年 輪島市ルポ

「創造的復興」へ正念場 能登半島地震から1年 輪島市ルポ

隆起海岸に迂回路造成 朝市の再生を復興シンボルに

ルポ 隆 起 し た 海 岸 に 迂 回 路 を 造 成 し た 国 道 2 4 9 号 ( 藤 橋 進 撮
元日の能登半島地震から間もなく1年、最も被害の大きかった石川県輪島市を訪ねた。火災で焼失した朝市通りは更地となり、地盤が隆起した輪島港では浚渫(しゅんせつ)作業が行われていた。土砂崩れで寸断された国道は、隆起した海岸側に迂回(うかい)路を通した。復旧・復興への歩みは一歩ずつ進んでいる。(能登半島地震取材班)

応急復旧がなったものの、なお所々、工事で片側通行箇所のある「のと里山海道」を経由して輪島市街に入る。あちこちで家屋の解体工事が行われている。地震で海底が1・5~2㍍隆起した港に行くと、浚渫船が巨大なシャベルで海底の泥を掬(すく)っていた。

近くの輪島キリコ会館(休館中)の駐車場に大型バスが2台止まっている。ボランティアの送迎バスだ。ちょうどお昼時で、外で昼食のパンを食べている男性に話を聞いた。

東京のIT企業に勤める森田茂樹さん(55)は、金沢のホテルに宿を取り2日間の日程で参加。前日は9月の豪雨災害を受けた民家の水たまりの水を流すために、側溝の泥を取り除くなどの作業を行った。この日は午前中、地震被害に遭った大きな民家の掃除を手伝った。

東日本大震災でも災害支援ボランティアに参加した経験のある森田さん。能登の現状について聞くと「1年経(た)ったのに、こんな状態だとは思っていませんでした。全然遅れている。倒壊して手付かずの建物も多いし」と言う。この日も夕方4時まで、目いっぱい作業をする予定だ。

キリコ会館のすぐ隣は、応急仮設住宅がある。2月に岸田文雄首相(当時)も視察している。

火災で約300棟が焼失した朝市通り周辺、河井町の焼け跡に行ってみると、2月にはまだ残っていた瓦礫(がれき)はすっかり片付けられ更地になっていた。焼け跡の荒涼さは消えたが、空虚な風景だ。地震さえなければ、ちょうど今ごろは年末の買い物客で賑(にぎ)わっていたはずだ。火災は免れたものの倒壊した商店はまだそのままの状態だ。

市街から国道249号を東へ車を走らす。能登観光のハイライト白米(しろよね)千枚田(せんまいだ)を過ぎ、伝統芸能「御陣乗(ごじんじょ)太鼓」で知られる名舟地区に入ると、隆起し海底が見える漁港に、9月の豪雨時に流されてきた木があちこちに転がっている。「地震よりひどかった」と地元の人たちが言う9月の豪雨被害の凄(すさ)まじさを物語っている。

名舟からさらに国道249号を東へ行くと景勝地として知られる曽々木海岸だ。土砂崩れで不通になっていたのが、今月5日、隆起した海岸に土を盛って造成した迂回路が開通した。海岸の隆起は大きな禍だが、それを逆手に取ったわけだ。

当面は地元住民や緊急車両に限られるが、これで市中心部と東部の海沿いの往来が可能となった。曽々木海岸やその東の真浦地区など復旧作業が加速することが期待される。将来の観光地としての復活のための重要な迂回路だ。

輪島市は復興まちづくり計画の策定を進めているが、復旧、復興、創造の3期10年の期間とし、被災者の生活再建、生業の再生、新たな町への再生の三つに大別し具体的に取り組む。その復興のシンボルとなるのが輪島朝市周辺の再生。輪島塗などの伝統産業、そして朝市の商品を供給する漁業の再生も欠かせない。輪島市の坂口茂市長は、朝市について「市の復興を全国に発信できる」と意欲を語る。

25日、地震の影響で1日1往復での運航が続いていた全日本空輸の能登―羽田便が地震前の2往復に戻った。帰省や観光、災害ボランティアの滞在時間延長など期待できる。

同じ日、能登半島地震の復興に向けて、「産学官石川復興プロジェクト会議」が発足した。初会合では能登駅伝の復活、隆起海岸のジオパーク認定支援、輪島塗の人材育成、塩田村継承・応援プロジェクトなど多彩なプロジェクトが提案された。一方、奥能登では地震を機に若い世代を中心に人口の流出が続いている。石川県が掲げる「創造的復興」へ向け来年は正念場となる。

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