
拉致監禁下の世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)の信者が両親や脱会屋、牧師、元信者などの連日の“説得”で教団や教理の“間違いに気付き”、脱会意思を表明するに至っても直ちに自由にはならない。脱会意思を確認する何通りもの“踏み絵”があるためだ。この過程は「元信者」の人生を反家庭連合の立場で書き換える作業とも言え、この時に重要な役割を果たすのが、マスコミと弁護士だ。
医師の小出浩久氏の場合、松永堡智(やすとも)牧師から①統一原理の間違いの整理②聖書の正しい読み方③親子の信頼関係の回復④被害の回復⑤社会性の回復――などのやるべきことが指示された。この中で特に注目されるのが①④⑤だ。
間違いの整理では、教会批判の急先鋒(せんぽう)である浅見定雄氏の批判書や『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版)などの批判書を読んでの感想文、信仰を持ってからの体験談(神体験、霊的体験など)をまとめ、今はどう思っているかなどを書かされた。
「被害の回復」ではまず「脱会書」を書いて、知っている教会員の名前、所属教会、住所などを書き出す。また統一運動に関わる企業の商品の紹介者名と購入金額をリストアップさせられる。これが、他の信者の脱会工作や家庭連合に対する賠償請求訴訟に使われるのだ。
このような過程を経て、脱会意思を確認した後にやっと親が付き添う外出など、徐々に自由が与えられるようになる。その一方で、本格的な「被害の回復」や「社会性の回復」(リハビリ)が始まるのだ。
この段階で宮村峻(たかし)氏を介して小出氏を“取材”したのがジャーナリストの有田芳生氏(現在、立憲民主党衆院議員)と週刊文春の記者だった。1993年7月ごろ、彼らは3、4時間インタビューした後、「二人(有田氏と週刊文春の記者)とも、『一年間も閉じ込められていて、よく耐えていられましたね』と言った」という。小出氏が拉致・監禁されていたことを知っていたのだ。これを扱った同誌同年9月16日号の記事は、拉致・監禁について全く触れていない。
有田氏は宮村氏を「子供のように純粋で、自分を飾らず、…」と評するなど昵懇(じっこん)の仲にあることをにじませていたが、実際、2022年8月18日、立憲民主党の旧統一教会被害対策本部(本部長、西村智奈美衆院議員)の第7回会合に、有田氏同席の下、「旧統一教会からの脱会を支援してきた宮村峻さん」(同党HP)として出席させている。
立民は安倍晋三元首相の銃撃犯が家庭連合への恨みに言及したことを受けてマスコミが連日のように報道すると、同本部を立ち上げ、各省庁のヒアリングを進めてきたが、それと並行して同日の宮村氏を皮切りに、元信者やその家族、2世などからのヒアリングを進めていくことにした。そのトップバッターが宮村氏だったのだ。
宮村氏は、1995年9月から12年5カ月にわたって監禁され脱会強要された後藤徹氏の民事訴訟(2015年9月29日最高裁決定)において、親族による拉致監禁を「教唆」あるいは「幇助(ほうじょ)」したという不法行為が認められ賠償を命じられている。当然、立民もその事実を知っているはずだ。同党参院議員も務めた有田氏という後ろ盾があったとしても、立民の人権感覚は地に落ちたと言うべきだ。
同本部の石橋通宏参院議員はヒアリング後、記者団に対し「宮村さんから、完全にマインド・コントロールの状態に陥っている中、いかに脱会が難しいかなど、貴重なお話をいただいた」と述べたという。マインド・コントロール論はすでに欧米では否定されて久しいが、拉致監禁の現場では「要するに自分では考えられなくなっているので、自分から脱会は難しい。…強制的に脱会させるのに非常に都合のいい理論」(後藤徹氏)となっている。家庭連合信者の人権を徹底的に無視する主張なのだが、偏向したヒアリングではその事実には目も向けないのだろうか。
宮村氏はまた、93年9月予定の小出氏が弟の結婚式に出席させる条件として「今度放映されるTBSの報道特集に出演し、教会と病院に対して対決姿勢をはっきりと示す」ことを提示。小出氏の了承を得て、9月5日に信濃川の河川敷で録画撮りが行われた(同13日放映)。
その過程でTBSのディレクターは「宮村さんからは統一教会関係のことをいろいろと指導してもらっている」と語り、撮影後、スタッフは「宮村さんとは、かなり長い付き合いになりますね。…今度宮村さんの特集番組でも作りたいですね」などと宮村氏を持ち上げた。このような宮村氏との持ちつ持たれつの関係がある以上、TBSが拉致監禁問題を取り上げることなどはとても無理だろう。
全国弁連、脱会屋と協力関係「拉致」無視は人権の二重基準
宮村峻(たかし)氏との持ちつ持たれつの関係は全国弁連(全国霊感商法対策弁護士連絡会)の弁護士たちにも見られる。彼らは「被害の回復」を巡って、宮村氏などから元信者の「被害者」を紹介してもらっていた。
同年9月末、やっと父の送り迎えで松永堡智(やすとも)牧師の教会に通うことが許された小出氏に、宮村氏は同弁連の山口広弁護士と紀藤正樹弁護士を紹介した。最初は「宮村氏に新潟まで行ってほしいと言われたので」新潟の弁護士事務所で会ったが、その後は月1回のペースで東京で会った。
両弁護士は毎回「もう、そろそろ自由に行動させてあげても大丈夫じゃないかな。まあ、そのあたりのことは宮村さんに聞いたほうがいいけどね」と語るなど、小出氏が両親の監視下で生活していたのをよく知っており、宮村氏の役割も十分にわきまえていたようだという。
山口、紀藤両弁護士は宮村氏が家庭連合信者に対する拉致・監禁を教唆・幇助(ほうじょ)していたことを当時、知らなかったわけではない。
同じ全国弁連で山口、紀藤両氏らと一緒に活動していた伊藤芳朗弁護士は、後藤徹氏の裁判に提出されたルポライター米本和広氏の陳述書でインタビューに答え、山口弁護士に「宮村氏のやり方は問題だよ」と言った時、山口氏は「ぼくたちは信者が辞めた後のことに関わればいいから。辞める前のことに一切関わっちゃいけない」と言ったことを伝えている。伊藤氏は、山口氏は宮村氏の拉致監禁説得を知っていたかとの問いに「もちろん!です」と答え、山口氏の返答を「狡い」と述べている。
また、伊藤氏は、宮村氏が脱会者の教会に対する返還請求訴訟で億単位の「高額事件を…紀藤正樹弁護士…だけに回」すなど、両者が親密な関係にあったことを証言している。
伊藤氏は「宮村氏の脱会活動が、脱会活動に名を借りた金儲けであり、実態は拉致監禁であり、棄教の強要に過ぎない」として、山口、紀藤両氏などの賛成を得て1994年から同氏が全国弁連を辞めた2005年まで、弁連から宮村氏を締め出すことができたと証言した。だが、紀藤氏だけは宮村氏と付き合っており、自分が辞めた後、宮村氏は再度全国弁連と関わるようになったようだとも述べている。
全国弁連には、1987年に京都で拉致され北海道で脱会屋の戸田実津男氏の鉄格子付きのアパートで監禁された京大卒の信者、吉村正氏に対する人身保護請求に対し、122人の弁護団を組んで対抗した郷路征記弁護士もいる。
弁護団の引き延ばしによって吉村氏は止(や)む無く自力で脱出して刑事告訴。戸田氏は「拉致監禁および棄教強要などを行って」きたこと、それが「刑法にも触れるものであること」を認めた謝罪文(88年11月10日付)を書いて刑事処罰を免れたが、郷路氏は一貫して拉致監禁を否定している。
数千人に及ぶ家庭連合信者に対する拉致監禁による棄教強要に対する姿勢は、日本の人権状況を測る指標といえる。
安倍晋三元首相銃撃事件以降、テレビや新聞などマスメディアは、家庭連合に関する報道を繰り返し、政府や各政党も扱ってきたが、献金問題や「宗教2世」問題を大々的に報じる一方で、拉致監禁問題は一部週刊誌の報道や一部国会議員の問題提起を除いて一切扱おうとしなかった。人権問題への明らかなダブルスタンダード(二重基準)と言わざるを得ない。
また、拉致監禁を経て信仰を捨てた元信者の教会に対する提訴や被害申告を政府、政党、マスコミは大きく扱っているが、彼らの主張が生まれた背景に長期にわたる監禁(自由抑圧)があった。そのような異常な過程を経て生まれた主張をそのまま鵜呑(うの)みにすることが果たして適正といえるのだろうか。長期拘束により罪状を自白させる中国や北朝鮮と、何の違いがあるだろうか。こんなことでは、とても人権と民主主義を誇る国家とは言えない。(信教の自由取材班)