トップ国内【連載】脅かされる信教の自由-52- 第7部 世界の中の日本の信教 マスコミが無視した棄教強要

【連載】脅かされる信教の自由-52- 第7部 世界の中の日本の信教 マスコミが無視した棄教強要

悪質・巧妙化した拉致監禁

世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)に関する日本のマスコミがタブー(禁忌)視し報じてこなかった問題がある。教団信者に対する拉致監禁による棄教強要だ。

「統一教会という犯罪集団に加わって活動することは、親、兄弟はじめ親戚として絶対に許せない。…心おきなく周りに邪魔されずに話し合う場所を別に用意してある。そこでじっくり話し合おう」

家庭連合(旧統一教会)信者に対する拉致監禁件数の推移

1992年6月、母親に呼び出されて実家に帰った小出浩久さん(当時29歳)を親戚20人近くが取り囲んで見据える中、父親がこう切り出した。

医師の小出氏は勤務先の病院職員と約束があり、“話し合いの場”に行く前に連絡を取ろうとしたが、皆が「絶対ダメだ」と口を揃(そろ)える。異常な雰囲気に気付いた小出氏はその場を出ようとしたが、「その途端、親戚のうちの男性たちが私に飛びかかり、家から担ぎ出し、外に停めてあったワゴン車に押し込んだ」。

小出氏は医大生だった83年9月に親友の紹介で家庭連合の教理を学び、信仰を持つに至る。88年3月卒業後、研修医を経て90年に都内の病院で働き始めた。

ところが92年6月に前記のように両親と親族によって拉致され、外部と完全に隔離されたマンションの一室(何度も転居)に閉じ込められ、実に2年近くにわたって信仰の放棄を迫られた。その実態をつぶさに明らかにしたのが96年11月初版、2023年9月に改訂版が出された『“人さらい”からの脱出 違法監禁に二年間耐え抜いた医師の証言』(光言社)。冒頭の記述は、拉致の次第を述べた部分の要約だ。

教団によると、教会員に対する拉致監禁による棄教強要は66年に荻窪栄光教会の森山諭牧師(当時)が始め、80年から99年まで20年近く年間80件以上(97年55件を除く)起こるなど、2020年まで50年以上にわたり実に4300件以上起きた。

このうち「7割は教会から去った」(田中富広家庭連合会長=12月2日付本紙既報)という。複数回拉致された人を考慮しても、おびただしい数の人々が拉致監禁を通じて人生行路を変えられ、信仰を保った人たちも心に深い傷を負ってしまった。

この途方もない人権侵害、特に自由権(信教の自由など内心の自由、経済的自由、人身の自由)を踏みにじる蛮行が日本国内で50年以上も続いてきた事実は決して軽いものではない。

当初は、信者を教会施設に閉じ込めて数日~1週間ほど牧師が説得するという形式だったが、その後、全国に拡大する中で、拉致監禁・脱会強要を生業(なりわい)とする脱会屋まで登場。手法がだんだん悪質化・巧妙化した。87年冬ごろには、父母教育→拉致監禁→棄教説得・強要→(脱会意思表明)→脱会確認→(監禁が解かれ)リハビリ生活としての拉致監禁説得の手伝い・教団訴訟など――という一方通行のシステムがほぼ完成したという。

小出氏は拉致監禁が毎日1件以上のペースで起こった92年(年間最多の375件)に拉致され、2度にわたる「偽装脱会」も含めて、拉致監禁システムのほぼ最終段階まで体験して教団に戻った。

両親と親族を背後で動かしつつ直接棄教強要まで行った脱会屋の宮村峻(たかし)氏、キリスト教牧師の松永堡智(やすとも)氏。彼らに協力する元信者たち、ジャーナリストの有田芳生氏(現、立憲民主党衆院議員)、全国弁連(全国霊感商法対策弁護士連絡会)の山口広、紀藤正樹両弁護士たちと監禁時期に直接会って話し、時には行動を共にして、拉致監禁システムの全貌を誰よりもよく知る存在となった。

連日のようにマスコミに顔を出し家庭連合批判の急先鋒(きゅうせんぽう)となったこれらの顔触れが直接関わっているとしたら、彼らに依存したマスコミの腰が引けるのも当然かもしれない。28年前に出版された同書の著者である小出氏が虚偽事実の掲載や名誉毀損(きそん)で訴えられたことは一度もない。

(信教の自由取材班)

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