栃木県那須烏山市 神武天皇東征時に先導
中国神話に登場する三足烏
神武天皇東征の際、熊野から大和の橿原(かしはら)まで先導したという八咫烏(やたがらす)。古事記や日本書紀に登場し、神話の中の烏として謎に包まれている。ゆかりの地、栃木県那須烏山市を訪れた。
国道294号を西に折れ、畑や農家が点在する道を少し行った田園風景の中に向田熊野神社がある。平安末期の天治2(1125)年、関白藤原道長4世の藤原資家(すけいえ)(那須家の祖)が勅命を受けて陸奥国白河郡の八溝山(やみぞさん)の賊を征伐するため、この地にやって来た。紀州熊野神社に祈願し平定に成功。領内安全祈願のため勧請(かんじょう)した30余社の一つとして伝わる。
境内には御嶽神社、琴平神社、諏訪神社、八坂神社、浅間神社、稲荷神社、西宮神社などの社が並んでいる。その一つに八咫烏神社があった。こちらは新しく、平成30年に和歌山県熊野本宮大社から分霊され創建されたものである。
八咫烏とは足が3本ある烏のことで、別名三足烏(さんそくう)とも呼ばれる。咫(あた)とは長さの単位で、親指と中指を広げたときの幅(約18㌢)を意味する。その8倍ということで、要するに大きい烏という意味だ。八咫烏の3本足は、それぞれ天・地・人、また智・仁・勇を表すと言われている。
八咫烏の伝説は世界各地にみられる。中国神話に登場する三足烏は太陽を象徴するとされ、赤烏、火烏、また日烏とも呼ばれる。
高句麗時代の古墳の壁画にも頻繁に三足烏は登場する。烏を神と人間を結び付ける神聖な鳥と捉え、その姿は高句麗のシンボルマークとして韓国では現在でも親しまれている。その他、ギリシャや古代インドでも太陽神話の一部で三足烏は登場する。このように烏が太陽とセットで語られる神話は世界中に存在している。
ちなみにこの八咫烏は昭和6年から日本サッカー協会のシンボルマークともなっている。日本サッカー生みの親の中村覚之助(明治11年~39年)が神武東征伝説で有名な熊野の地・和歌山県那智町出身であったことから、彼にちなんだものとして選ばれた。今回訪れた八咫烏神社の堂内には栃木SCの選手たちのサイン入りボールが二つ並んでいた。
向田熊野神社・八咫烏神社から北方へ7㌔ほどの所には国指定史跡・烏山城跡がある。600年ほど前の室町時代、金の御幣(ごへい)(神祭用具の一つ)をくわえた烏が飛来し、御幣を落とした所に山城を造り烏山城と命名した、という伝承がある。烏由来の城というのが興味深い。那須烏山市役所駐車場の観光案内板の上には金の御幣をくわえた八咫烏の像が鎮座していた。
謎が多い伝説の鳥、八咫烏だが、もともとは日本にいたものが中国に飛んでいったという説がある。中国では3本足の烏が来たということで珍重された。中国で日烏と呼ばれるのは、太陽の烏と日出ずる国日本から飛来した烏という二重の意味を持つ可能性が考えられる。
今回、訪れた熊野神社境内の八咫烏神社に参拝している際、誰もいないひっそりとした空間の中で、タイミングよく烏が3度鳴いた。少し間をおいて4度目。烏は何かを伝えたかったのだろうか。
(長野康彦)