トップ国内【連載】“岸破”政権大敗 ’24衆院選から探る(下)再来した政権交代の可能性

【連載】“岸破”政権大敗 ’24衆院選から探る(下)再来した政権交代の可能性

自民党の石破茂総裁が映るテレビ画面の前 を通る立憲民主党の野田佳彦代表=27日午 後、東京・永田町の同党本部

石破茂政権スタート直後の衆院解散総選挙では、立憲民主党、国民民主党、れいわ新選組、参政党の野党各党が勢力を広げた。日本保守党は新しく3議席を獲得、比例代表の総得票で2%を超え、公職選挙法や政党助成法が定める政党要件を満たした。大阪の地方政治で与党の日本維新の会、戦後の典型野党である共産党は減退、社民党は得票数を減らしたが、1議席を維持した。

一時、数議席上乗せかと報じられた共産党は、マイナス2で8議席となり、共闘関係にあった野党の中で唯一敗退した。立民・野田佳彦代表の「もう立憲共産党とは言わせない」との発言に反発し、213の小選挙区で候補者を擁立したことが裏目に出た形だ。

裏目と言えば、その敗れた中でも特に143候補の得票が、有効投票数の1割を切り、供託金没収の対象となった。1人当たり300万円で、総額4億2900万円。野党共闘で調整した前回比で、3倍の出費となり泣き面に蜂だ。

立民、共産を軸とする野党共闘は立ち消えた。7月の東京都知事選で参院議員を辞して立候補した蓮舫氏が、共産党の全面支援を受けるも、東京に地盤のない石丸伸二氏(前安芸高田市長)にも敗れ、3位に沈んだのが立民に大ショックだった。安保法制騒動(2015年)以来の野党共闘からの脱却へと、野田氏を押し出している。

結果的に「反自民非共産」の野党勢力が台頭した。投開票日の翌日、野田氏は、労組・連合本部の芳野友子会長を訪ね、特別国会での首相指名の協力を要請した。芳野氏は記者会見で「共産党と共闘しなくても勝てる」と述べた。

反自民非共産の政権構想は、連合の山岸章・初代会長が強く推奨。旧社会党系労組の総評、旧民社党系労組の同盟などが合併して連合を設立したのが1987年。以降、労働界再編のベースの上に、90年代の自民党実力者らの「政治とカネ」の問題から、新党ブームを伴う政界再編のうねりが起きた。

野田氏は当時を強く意識する。93年に自民党が下野した政権交代では、日本新党の新人議員として細川護熙首相を支え、8党会派の連立政権に参画した。街頭演説で野田氏は今回、当時の政治改革が自身の「政治家の原点」と訴え、「政権交代こそ最大の政治改革」と強調してきたのだ。

政権交代は今日、自民・公明の与党過半数割れから議席配分上、可能だ。だが選挙前、立民、国民など各党がその枠組みを話し合ったわけではない。保守系野党も台頭しており、維新も選挙翌日、藤田文武幹事長が基本政策の違いを指摘、立民との連立を言下に否定した。

そもそも、野党が一斉に「裏、裏、裏」と連呼し、自民の政治資金不記載を「裏金」と攻め立て、自滅させて得た議席である。かつその際、立民は政権批判票の受け皿としても小さかった。前回21年では、敗北して代表が辞任に追い込まれたが、比例の総得票は1149万だった。だが50議席増やした今回も1156万と7万増にとどまる。自民が500万以上も一方的に減らしたのであって、立民候補は相対的に浮上したにすぎないのだ。

中道保守の野党として大躍進した国民の357万、参政の187万、初めて議席を得た保守の114万が、批判票の受け皿になったと見るのが妥当だ。159万を増やしたれいわは、半数を共産から奪ったと言えるだろう。

11月11日召集と言われる特別国会での首相指名に向け、自民、立民をはじめとする各党の交渉は予断を許さない。自公は無所属を取り込んでも過半数に足らず、新たな連立工作に成功しなければ衆院で少数与党になる。その場合、野党勢力は内閣不信任案を通し得るカードを手にして、次の政権選択選挙を仕掛けられる。与野党各党の駆け引きは文字通り国政を左右する。(衆院選取材班)

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