「挂甲の武人」5体勢揃い
力士や鷹匠、王権と深い関り

東京・上野の東京国立博物館で、特別展「はにわ」が開かれている。今展では埴輪(はにわ)「挂甲(けいこう)の武人」が埴輪では初めて国宝に指定されてから50年を記念し、国内外に散らばる「挂甲の武人」5体が勢ぞろいした。その他、王や王に仕える人々、家や動物など古墳時代の姿を生き生きと伝える埴輪、約120点を一堂に展示する。
古墳時代、古墳やその周囲に置かれた埴輪は、その素朴な表現や表情が魅力だ。会場でまず迎えてくれる「踊る人々」の2体がその代表だろう。左手を肩の上に、右手をお腹(なか)に当てて、丸い口を大きく開け、目も同じ大きな丸い穴で表現されている。歌いながら踊りを踊っているように見える。ただ最近は、馬を引いている姿との説もあるという。
さて今展の目玉、国宝「挂甲の武人」(東京国立博物館蔵)だが、群馬県太田市で発掘された6世紀の作。甲冑(かっちゅう)をまとい、手には籠手(こて)を着け完全武装した古墳時代の武人が細部まで表現されている。これと兄弟のようにそっくりの埴輪が、伊勢崎市の相川考古館や米国シアトル美術館ほかに4点あり、それらもそろって展示された。
河野正訓氏の図録解説によると、5体は太田市にある窯で同一の工人たちによって作られたとみられる。確かに挂甲を着け左手に弓を持ち太刀(たち)を佩(は)いて直立するポーズなど非常によく似ている。ただ冑(かぶと)の庇(ひさし)が若干深かったり、手の位置などの違いもある。儀式に臨む姿、あるいは被葬者を警護しているとの見方が有力という。
粘土を焼いて作った埴輪は、元々土色をしていたと考えられがちだ。しかし、顔の赤など彩色されたものも少なくない。挂甲の武人も元は全身、彩色されていた。解体修理の際、蛍光X線分析によってどのような塗料が塗られていたか調べ、それを基に彩色復元したものが今回展示されている。全身を覆う挂甲は白で、金属の色を表しているとみられる。これを見ると、当時の戦士のイメージもだいぶ変わってくる。
形象埴輪で注目したいものの一つが、家形埴輪。古墳時代の建物の構造や外観を知る貴重な手掛かりを提供してくれる。中でも今城塚古墳出土(6世紀)のものは、高さ171㌢の日本最大の家形埴輪。入り母屋造りの屋根には、巨大な千木(ちぎ)が交差し、棟の上に鰹木(かつおぎ)が置かれている。伊勢神宮の建築に残る様式である。
人物埴輪では、まわしを締めた力士も3体展示されている。片方の手を上げ、もう一方を腰に当て、四股を踏む時のポーズのようにも見える。鷹匠(たかじょう)(太田市オクマン山古墳出土、6世紀)の埴輪は、みずらを結い、鍔(つば)付きの帽子を被(かぶ)った気品のある鷹匠とその腕の上に乗る鷹がかたどられている。力士、鷹匠とも王権と深い関わりを持つ職掌(しょくしょう)だ。
動物をかたどったものでは、馬のほか、犬やイノシシなど、単純化された素朴な表現の中にその動物の特長を表し、愛らしいものが多い。珍しいものとしては、千葉県芝山町の白桝遺跡出土の魚形埴輪(6世紀)がある。菊池望氏の解説によると、魚形埴輪は、利根川下流域を中心とした内陸の地域にのみ分布しており、地域を象徴するような川や湖の恵みを表現したものではないかという。同展は12月8日まで。
(特別編集委員・藤橋進)