5回目にして最後、との決意で自民党総裁選に臨んだ石破茂氏が、前代未聞の9人の候補者の中から当選。1日召集された臨時国会で首班指名を経て第102代の内閣総理大臣に決まった。総裁選後、直ちに取り組んだのが党役員人事と組閣であった。石破政権を方向付ける体制づくりである。
石破氏といえば、長期にわたった第2次安倍政権で党内批判の先鋒(せんぽう)に立ち、「後ろから鉄砲を撃つ」人物としても知られた。つまり従来、自民党に居ながら政権に対して評論家的なポジションであった。それがこのたび、執行部を取り仕切る当事者に取って代わる。
2021年に石破派を解消し、グループに移行するなど、もともと党内基盤も弱く、総裁選で368人の議員票のうち石破氏に投じたのは46票(12.5%)にすぎない。決選投票で逆転したが、国会議員らが積極的に選んだ結果ではない。
こうした前提の上では、総裁選立候補者を総力結集するとした前言の封印や、刷新感の欠如への批判を甘受しながら、論功行賞を軸に、安定と岸田路線継承の体制とするほかなかったと言える。その象徴が党では森山裕(ひろし)幹事長(旧森山派会長)、政府では林芳正官房長官の任命に表れている。
最大の焦点が党務の要、幹事長人事であった。12年の党総裁選で、決選で敗れた方の当事者である石破氏は当時、安倍晋三総裁から幹事長で処遇された。これを引き合いに今回、石破氏が決選で破った高市早苗氏を幹事長に処遇するか、注目された。
党員・党友票、また議員票でも上回った高市氏を十分に処遇してこそ、挙党態勢を意思表示できたのだが、実際には総務会長を打診し、結果、固辞された。確かに森山氏は、衆院国対委員長として野党対策を行った経験が豊富で、公明党とのパイプもあり、選挙対策のベテランだ。
だが森山氏は、党の選挙対策委員長として昨年の奈良知事選挙で、自民支持層が推す保守系候補の2人を擁立し、オウンゴールで当選を維新に譲った。これには一昨年、奈良県で発生した安倍元首相暗殺事件の真相究明を、政府や党として本格的に進めなかったことと無関係なのか、疑問の影が付きまとう。
また党の副総裁に菅義偉(よしひで)氏が就任した。首相経験のある元老議員の定位置だが、ここでも疑問符が付く。7年8カ月の第2次安倍政権を官房長官として支えた菅氏。安倍氏の国葬儀でも「あなたの判断はいつも正しかった」と弔辞で述べた。その菅氏がここにきて、安倍氏を徹底して批判していた石破氏を支えるという。当初、石破氏を見切り、小泉進次郎氏をもってキングメーカーたらんとした経緯があるのに、だ。
旧安倍派からの党役員、閣僚人事への起用はなく、「反安倍」の印象も色濃い。最も象徴的なのが、総務相への村上誠一郎氏の起用だ。安倍元首相の国葬儀に反対し、安倍氏を国賊と揶揄(やゆ)し、党の党紀委員会によって1年間の役職停止処分を受けた人物だからだ。
高市氏が総裁選で自身を支援した仲間への処遇をと石破氏に要望したが、わずかにそのことが経済安保相の後継としての城内(きうち)実氏(元外務副大臣・元環境副大臣)入閣に表れている。また決選で、高市氏に票を投じたと公表した加藤勝信氏を財務相に任命した。
総裁選期間中、候補者各人それぞれを適材適所に登用すると石破氏は言及していたが、結果的に主な党役員と閣僚に人事されたのは、林氏と加藤氏、小泉選挙対策委員長の3人にとどまった。総じて、石破氏が言っていた「総力結集」の党役員人事と組閣、言い換えれば挙党態勢とは、およそ似つかない布陣である。(司馬俊太)