腰掛松や弁慶の硯石などの史跡
義経伝説の残る町 福島県国見町
福島県国見町。宮城県との県境にある福島県最北のこの町には源義経と弁慶の伝説や、奥州合戦の戦場となった阿津(あつ)賀志山防塁(かしやまぼうるい)など源氏ゆかりの史跡が残る。
「義経の腰掛松(こしかけまつ)」は、義経がまだ牛若丸の頃、京都・鞍馬寺から抜け出し、奥州平泉の藤原秀衡(ひでひら)を頼って北上する際、この地で一休みしたと言われる場所。敷物がなかったので、路傍の若松を折り曲げて腰を下ろしたとされることからその名がついた。国道4号線から西に少し入ったところにある。
初代の松は枯れてしまい、今は3代目の松が青々と茂っている。初代の松は枝張りが30㍍に及ぶ美しいものだったそうだ。今は根幹しか残されていないが、それでもその大きさといい形といい見事なもので、屋根付きの囲いで保護されている。根幹の前にはちょこんと小さな祠(ほこら)が立っており、地元の人からは義経神社と呼ばれている。
「弁慶の硯石(すずりいし)」は、源頼朝が平家追討のため挙兵した際、平泉にいた義経やその郎党が鎌倉にはせ参じる途中、立ち寄ったとされる小山の上にある石。ここで弁慶が石のくぼみにある水で墨をすり、義経軍の兵の名前を記したと伝えられる。現在は繁茂する雑草ですっかり覆われ、かろうじて案内板が見えるだけなのが惜しい。
平家滅亡後、平泉に身を寄せていた義経が討たれ、まもなくして平泉の藤原泰衡(やすひら)軍と鎌倉頼朝軍が激突したのがこの地だった。泰衡軍は二重の空堀と三重の土塁からなる防塁を長さ約4㌔㍍にわたって築き頼朝軍を迎え撃つが、3日で陥落してしまった。この阿津賀志山防塁は日本三大防塁の一つとして国指定史跡になっている。
こうしたことから町は平成元年「あつかし山奥州合戦800年祭」を実施。以降「義経まつり」を毎年9月23日(くにみの日)に開催している。第27回目の今年は、まつりのメインとなる「武者行列」で義経役と静御前役に若手タレントを起用するなどの力の入れよう。町の企画調整課地域振興係主査の大栗行貴さんは「さまざまなイベントが行われるので子供から大人まで楽しめます。武者行列を楽しみながら、史跡を訪ねたり町の歴史に触れていただけたらと思います」と話している。
(長野康彦)