【連載】脅かされる信教の自由㉖ 第4部 一線を越えたマスコミ 典型的印象操作も反省なし

2023年4月15日、衆院補選の応援演説を行う岸田文雄首相のそばに爆発物が投げ込まれた事件の後、時ならぬ「テロリスト」関連報道の論争が起こった。

既に報じた通り、国際政治学者の細谷雄一氏は、「テロリストの犯行の背景を理解しようという姿勢自体が、テロリストの目的達成を幇助(ほうじょ)する」という“テロリズム研究の一般的な理解”をツイッター(現X)で指摘した。しかし、日本ではこのような理解は、一般的ではない。

2 0 2 2 年 7 月 18 日 月 曜 日 の テ レ ビ 欄 に 掲 載 さ れ た ミ ヤ ネ 屋 の 番 組 内 容

自民党の細野豪志衆院議員は事件後、「私はテロを起こした時点でその人間の主張や背景を一顧だにしない。そこから導き出される社会的アプローチなどない」と表明。犯人のツイートの内容などが報じられるようになると、「岸田総理を襲撃した男の人物像、テロの動機について報道合戦が始まった。私はこれらの報道に『売れる』という以外の価値を感じない」などと主張。ほかにも同様な意見がネットで広がった。

これに対し東京新聞は特報部の「『犯人の動機を報じるな』はどういう理屈」(同4月22日Web掲載)という記事で、「与野党問わず政治家が報道について『これは報じるな』と言い出した時点で、民主主義の根幹は崩れる」(ジャーナリスト青木理氏)などと反論。朝日新聞デジタルも「テロ事件の報道規制論と『愚民観』 私たちの『共感』は暴走しない」(同5月16日掲載)の記事で、「こうした議論は『愚民観』に基づくもので、リベラルデモクラシー(自由民主主義体制)の崩壊につながる」(犬塚元・法政大教授)と指摘。ほかに多くの反論がネットを賑(にぎ)わした。

もちろんテロ犯罪の報道では動機や背景もテーマである。ただ、その報道は細心の注意を払わなければ、犯人の目的を手助けする結果を生みかねない。問われているのは、現役首相を狙った爆発物テロという模倣犯が生まれる深刻な事態を生み出す背景にあった報道の在り方だ。安倍晋三元首相銃撃犯に関連する報道はメディア側の責任で検証されるべきだ。

2022年7月18日の読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」は、山上徹也容疑者(当時、現在は被告)が犯行直前にジャーナリストの米本和弘氏に送った手紙の全文を画面に映すだけでなく、「母の入信から億を超える金銭の浪費、家庭崩壊、破産…この経過と共に私の10代は過ぎ去りました。その間の経験は私の一生を歪ませ続けた…」などという自己弁護から、「統一教会」の教祖一族に対する恨み事と明確な殺害意図など、一言一句省かず、そのままの表現で女子アナウンサーが読み上げた。

宮根誠司氏がこの手紙に沿って、「信者の方はもちろん苦しんでいらっしゃる方もいるんですが、やはり2世信者と言われる方で、そこで苦しんでいる人たちがたくさんいる」…など、教団の信者や2世信者の多くが苦しみ、家庭崩壊しているという前提のもとに論議を進める。

その過程で、山上被告のものと思われる米本氏ブログへの書き込みの抜粋を3回(20年12月のもの)、さらに山上被告のツイートや他の書き込みの抜粋を4回(21年5月、19年10月、20年8月、22年6月のもの)、いずれも文面を画面に映し出して、女性アナウンサーが読み上げていった。

これは視覚と聴覚を同時に刺激する典型的な印象操作の手法だ。安倍元首相の銃撃死から10日後に、犯人の主張をここまで徹底して公共電波を使って報じるのは、とても正当な報道とは言えない。山上被告によるテロについては、動機や背景が何度も繰り返し報じられ、一種の洗脳を思わせるものだった。それにもかかわらず、現在に至るまでその検証も反省も、それに伴う懲戒も行われていない。

(信教の自由取材班)

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