唯一、石垣を持つ東北地方最大の広さ
文献には記録なし
東北地方には平安時代、約20カ所の城柵(じょうさく)が建設された。角材や築地塀(ついじべい)で囲まれた、軍事施設も兼ねた国の役所である。その中で唯一、石垣を持ち、東北最大の広さを持つのが秋田県大仙市の「払田(ほったの)柵跡(さくあと)」だ。史跡一帯は公開されていて8月上旬散策した。
平安時代、天皇を中心とする律令国家にとって東北地方は外国であり、人々を蝦夷と呼んだ。蝦夷(えみし)へ対応する拠点が「城柵」である。
ここの遺跡は明治35年、水田から角材約200本が発見され、昭和6年に国史跡に指定された。49年に秋田県払田柵調査事務所が開設され、発掘作業が継続している。
遺跡は、東の長森(ながもり)と西の真山(しんざん)からなり総面積は約90万平方メートルに及ぶ。東西が約1・4キロメートル、南北約0・8キロメートルのジャガイモのような形だ。
今回は長森を歩く。内側から政庁、外郭線(がいかくせん)、外柵(がいさく)の三つの柵=塀(へい)で囲まれている。
まず目に付くのは、復元された高さ9・7メートルの堂々とした「南門」だ。最も外側の門で兵士が常駐していた。奥に進むと内側の南門に着く。階段を登ると政庁だ。
門の左側には石垣があり、平安時代の石が残っている。一帯から産出する珪質頁岩(けいしつけつがん)は非常に硬い堆積岩で、縄文時代は矢尻やナイフに使われた。東北地方の城柵の中で唯一石垣を持つのは、重要視された証拠か。
大和朝廷にとって東北地方は外国だったが、ここでは、なるべく平和に日本に組み入れようと、蝦夷の饗応所が南門近くに建っていた。
この遺跡の創建は802年頃で約200年間存続した。1200年も昔だが、日本最古の和歌集である「万葉集」に数多く詠まれている花々――ツユクサ、ヤマハギ、クズ、オトギリソウなど多くの植物に出合うことができる。
一方、発掘調査により250件ほどの製鉄工房跡が見つかっていて、ハイテク産業の中心地でもある。弓の矢尻や短刀、農具を作っていた。
この遺跡、謎に満ちている。これほど大規模な城柵なのに、文献に記録がないのだ。遺跡名の「払田」は地名である。他にも楕円(だえん)形(方形が基本)、東門の位置が北東を向いているなどミステリーが多い。
(伊藤志郎)