世俗化と無関係ではない近代五輪
芸術と関わり深いヨーロッパ文明
女性アスリート想定せず
パリ五輪が閉会し、パラリンピックを待つ時期だが、五輪自体は100年ぶりにパリで開催されている。その前は1900年に第2回五輪がパリで開催されている。今回、ルーヴル美術館では「オリンピスム、現代の発明、古代の遺産」展(9月16日まで)を開催中だ。
この機会にルーヴルはオリンピスムの原点を紹介するため、フランス人のピエール・ド・クーベルタン(1863~1937年)男爵を含め、五輪と芸術との関係を掘り起こしている。19世紀に始まった近代五輪は、世俗化と無関係ではない。
残念なことは今回のパリ五輪開会式のダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」を想起させる演出は、演出家本人は否定しているが、完全にキリスト教への無知から生じたものだった。イエスが十字架にかけられる前日の差し迫った場面は、パロディー化すべきものではなかった。パリ開催ということで開会式の出し物は、全てフレーム内の絵画を意識していたが、結果的に宗教の一線を超えるものが多く、教育とスポーツを目指したクーベルタンの理想は砕かれた。
一方、ヨーロッパの起源となったギリシャ・エジプト・ローマ文明に芸術は欠かせず、それも神の創造物の最高の傑作である人体は、ローマ文明そのものでもあった。女性はミロのヴィーナスに象徴されるミューズ、男性の肉体美は闘いやスポーツで表現された。
ただ、クーベルタンにも女性がアスリートになることは最初、想定しておらず、男性アスリートの競技で「勝者に歓声の声を上げる」存在と彼は言った。女性アスリートを公正なジェンダーとして扱い始めたのは、1900年の第2回パリ大会以降だった。
そもそも、オリンピスムには西洋芸術が深く関わっており、1896年にアテネで開催された第1回近代五輪のマラソン優勝者、スピリドン・ルイに授与された銀杯は金細工師、ミッシェル・ブレアルがマラソンの湿地帯の風景をモチーフとした。近代五輪には考古学的証拠と古代文書に基づいたネオアンティークの作品が用いられた。
つまり、近代五輪は古代美術と19世紀の創作物が組み合わされた形で、アテネのアクロポリスから、歴史、文献学、考古学から可能な限り正確に復元された。紀元前776年にオリンピアで最初の競技会が始まり、近代五輪につながった歴史的・文明的教訓が刻まれた。
画家のエミール・ジリエロンは、近代五輪に向け、アスリートのキューピッドの石棺など、ルーヴル美術館の考古学的オブジェクトを発見している。メディチ家のレスリング選手などの古代彫刻を模したさまざまな石膏(せっこう)は、1896年のアテネ大会以来、ジリエロンによって制作された切手プレートにつながった。
有名な5世紀のアテネの彫刻家ミュロン作「円盤を投げる人」(ディスコボロス)はナチスドイツにも利用された暗い歴史も持つ。実は五輪に合わせ、芸術五輪も開催され、芸術家たちは腕を競い合った。今回、コスタス・ディミトリアディス作「フィンランドのディスコボロス」(1924年)がルーヴルに展示されている。
芸術とスポーツもまた、切っても切れない関係にあることを確認できるルーヴルの展示だ。平和への思いは、古代五輪から脈々と流れるDNAを五輪に関わる芸術作品に見ることもできる。五輪スポーツの与える興奮と感動は、芸術作品にも残されている。
(安部雅延)