トップ国内山寺を訪ねて考える―山形県山形市 芭蕉が詠んだセミは何ゼミか 

山寺を訪ねて考える―山形県山形市 芭蕉が詠んだセミは何ゼミか 

岩と木々の間の石段を上っていく

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セミの歌声に情緒を感じる季節が巡ってきた。夏。こんな時、ふと口をついて出てくる名句がある。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」だ。その舞台となった松尾芭蕉が「おくのほそ道」で立ち寄った山形県山形市の山寺を改めて訪ねてみた。

宝珠山立石寺(りっしゃくじ)は通称「山寺」の名で親しまれている天台宗の古刹(こさつ)だ。貞観2(860)年、第3世天台座主慈覚大師円仁が開いた。

芭蕉は「おくのほそ道」(以下「ほそ道」)で宮城県の松島を訪れ、あまりの感動で句を詠めず、その後、岩手県の平泉へ向かう。平泉ではあの有名な「夏草や兵どもが夢の跡」の句を残し、さらに北へ向かいたい気持ちを抑えて、出羽国(現在の山形県・秋田県)へと向かった。

出羽国尾花沢では旧知の豪商を訪ね、天候不順もあって10日ほど滞在することになった。そこで人々に山寺行きを勧められる。こうして当初の予定にはなかった芭蕉の山寺訪問が実現したのである。

尾花沢から30㌔ほど南下し、芭蕉一行は元禄2年5月27日(陽暦1689年7月13日)午後4時頃に山寺の麓に到着した。そこで宿を取り、まだ陽があるうちに山寺参詣に向かった。一歩足を踏み入れると、そこは森と岩が織りなす幽玄の世界。芭蕉は「ほそ道」に「崖をめぐり、岩を這って、仏閣を拝し、景色は静寂として、心の澄みわたるのをおぼえる」と記した。院や坊の扉は閉じられ、物音一つしない。聞こえてくるのはセミの鳴き声だけである。そこでかの有名な句が生まれた。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

この句の初案は「山寺や岩にしみつく蝉の声」であった。そこから「さびしさや岩にしみ込む蝉の声」へと推敲(すいこう)され、現在の形におさまったようだ。

記者が訪れたのは8月初旬の快晴の日。アブラゼミやミンミンゼミが賑(にぎ)やかに鳴いている。思いのほか訪れる人は多く、中国語圏からの観光客が大半を占め、日本人と欧米人がチラホラ見られる感じだ。

国指定重要文化財の根本中堂を過ぎて山門をくぐり石段を上っていくと、途中「せみ塚」と呼ばれる場所がある。芭蕉が句の着想を得た場所ではないかとして、弟子たちが師の遺(のこ)した短冊を土台石の下に埋め、塚を立てた所である。

1015段の石段を登り続ける。汗が吹き出す。真夏のうだるような暑さの中、これを苦行と言わずして何と言う。したたる汗とともに煩悩も流れ落ちていくというものである。途中、幾つものお堂や院に立ち寄りながら、ようやく終点の奥之院へたどり着いた。

かつて「閑さや」の句に詠み込まれているセミは何ゼミかという論争があった。斎藤茂吉はアブラゼミと言い、夏目漱石門下で文芸評論家の小宮豊隆はニイニイゼミだと主張した。茂吉が実地調査をして自説を撤回、現在ではニイニイゼミ説が有力である。

今回、自分の目と耳で確かめてみたかった。芭蕉が訪れた時期より3週間ほど遅いが、それでも何かの手掛かりはつかめるかもしれないと思った。山頂で25年間売店を営む女性は、「芭蕉は夕方参詣した。梅雨明け頃から夕方鳴くのはヒグラシです」と教えてくれた。他の地元の人にも聞いてみたが、やはり夕方鳴くのはヒグラシと言う。ヒグラシの声にはどこか「さびしさ」が漂う。名句をめぐるセミ論争。いよいよ謎は深まった。

(長野康彦)

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