豊富な逸話・芸談で美学語る
歌仙巻くような歌舞伎版「ちょっといい話」
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演劇評論家で作家・随筆家、戸板康二の『歌舞伎への招待』(正・続)はいまも古びない歌舞伎の格好の入門書だ。昭和25、26年に初版が出、平成16年に岩波現代文庫に収められた2冊は、歌舞伎界が大きな世代交代の時期にきている今、改めて読まれるべき本である。
『歌舞伎への招待』は、「花道」「女形」などの13テーマを設け、入門者への解説と共にそれぞれの見どころを随筆風に語っている。肩の凝らない語り口だが、例えば、六代目尾上菊五郎をテーマに掲げた「菊五郎」では、「菊五郎の歴史を考えることは、そのまま、明治、大正、昭和の歌舞伎の歴史を考えることなのだ」という。
「下座」ではさまざまな鳴り物について語られ、大太鼓の打ち分けで、波、風、雪、城、妖怪などを表現するなど、歌舞伎独特の象徴だと解説する。その中で、「髪結新三(かみゆいしんざ)」で新三をつとめた六代目菊五郎が、手代の忠七を傘で殴り倒し、「ざまァ見やがれ」と永代橋を渡って行く時、ズドンドンと太鼓で波がしらを表現するのは、川なのだからおかしいと言って、下座に変更を求めた逸話を紹介。
これに対し囃子(はやし)部屋の演奏者は「あそこは先代の時から、波がしらでなければ、新三の引込みがキッパリとしないというので、もうこれが型になっているんです」と答え、菊五郎は自分の不明を恥じたという。
歌舞伎に近代的なリアリズムの導入を図った菊五郎が伝統の型にどう対していったかを示す面白い挿話である。戸板が晩年に書いたベストセラー随筆『ちょっといい話』を思い出させる、歌舞伎版ちょっといい話とも言える。
『続歌舞伎への招待』は、「梅王丸」「早野勘平」「切られ与三郎」など歌舞伎の代表的登場人物8人を挙げ、歴代の名優たちがそれをどう演じてきたかを逸話や芸談を豊富に盛り込んで語られる。
しかも、江戸歌舞伎の荒事のヒーロー「梅王丸」から始まり幕末の「切られ与三郎」で終わる登場人物を語ることによって、芸風史をたどることになっている。役者がさまざまに工夫して型を洗練させ継承してきた歌舞伎。本書は洒脱(しゃだつ)な語り口の中で、その美学の核にあるものを具体的にたどっているのである。
(特別編集委員・藤橋進)