神奈川近代文学館で「没後15年庄野潤三展」

描き続けた掛替えのない日常

輝く「夫婦の静かな晩年」

庄野潤三展が開催されている神奈川近代文学館

家族の日常や市井(しせい)の人々の生活を題材に、独自の小説世界を作り上げた庄野潤三の人と文学を回顧する「没後15年庄野潤三展――生きていることは、やっぱり懐しいことだな!」が、横浜市の神奈川近代文学館で開かれている。

庄野潤三は、大正10(1921)年大阪の帝塚山学院の創立者、庄野貞一の三男として生まれた。大阪外国語学校に入学し、英国のチャールズ・ラムのエッセーなどを愛読、詩人の伊東静雄に師事した。昭和30(1955)年に『プールサイド小景』で第32回芥川賞を受賞し、「第三の新人」の作家の1人として注目される。

庄野邸に置かれた井伏鱒二ゆかりの大甕

受賞を機に庄野は、勤めていた朝日放送を退社し作家業に専念。受賞作は家庭の危機を描いたものだが、それ以後、庄野は家族の日常を愛(いと)おしむように作品の中で描き、昭和40年読売文学賞を受賞した『夕べの雲』など家族小説の名作を次々世に送り出した。

今展ではそんな家族の写真が多数展示されている。スポーツが得意だったという庄野が鉄棒にぶら下がるのを子供たちが傍で見上げる、ほほ笑ましい写真もある。川崎市生田の丘の上の自宅近くで子供たちと撮ったものを見ると、背景には樹木や草原が広がり、宅地開発前の『夕べの雲』の舞台がそのまま残っている。これらは普通のスナップ写真だが、庄野文学の世界と直結するのである。

夫婦小説、家族小説と並んで、庄野には『紺野機業場』、『浮き燈台』など市井の人々からの聞き取りを元にした「聞き書き小説」がある。市井に生きる人々の生業(なりわい)や生活を題材にしたものだが、名もない人々の人生が一種の切なさを伴って浮かび上がって来るのである。「聞き書き小説」のコーナーでは、それらの作品や取材先での写真などが展示されている。

庄野は昭和34年、「自分の羽根」という随筆でこう書いている。「私は自分の経験したことだけを書きたいと思う。徹底的にそうしたいと考える。但し、この経験は直接私がしたことだけを指すのではなく、人から聞いたことでも、何かで読んだことでも、それが私の生活感情に強くふれ、自分にとって痛切に感じられることは、私の経験の中に含める」。

こういう決意のもとで書かれた作品は、平凡な日常が掛け替えのないものであることを、読後にしみじみと感じさせるものが多いのである。

「子供が大きくなり、結婚して、家に夫婦が二人きり残されて年月がたつ。孫の数もふえて来た。もうすぐ結婚五十年を迎えようとしている夫婦がどんな日常生活を送っているかを書いてみたい」(『貝がらと海の音』あとがき)。

そうして生まれたのが、「最晩年の連作小説」のコーナーに展示された『山田さんの鈴虫』『けい子ちゃんのゆかた』など晩年の連作小説だ。何気ない夫婦の会話、近所の人たちとの交流、時々訪ねて来る子や孫のことなどが平明な文章でつづられ、読後に不思議な幸福感を残す。晩年の輝き、庄野文学の美しい夕映えとも言うべき作品群である。

展示品では自筆原稿の他に、ロックフェラー財団の給費留学生として米国ガンビアに留学した際、地元の人々との交流などをつづったノート、自宅に置かれた井伏鱒二ゆかりの古備前の大甕(おおがめ)などが目を引く。同展は8月4日まで。

(特別編集委員・藤橋進)

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