歴史上名高い後三年(ごさんねん)合戦の資料を豊富に展示している後三年合戦金沢資料館(横手市金沢)で、「金沢城跡の鬼門(きもん)を守る墓」をテーマとした企画展示が7月15日まで開かれている。
秋田県南部の横手盆地は日本で一番面積が広く、東は岩手県の北上市とつながり、北は秋田市、南は山形県、西は日本海へと通じる交通の要衝であり、日本列島史の中で主要な出来事の舞台となった。後三年合戦で生き残った清原清衡(きよひら)は姓を藤原に戻し、以後約80年にわたる岩手県の平泉黄金文化の礎を築いたことはあまりに有名だ。
今回の展示では、同館の東側にある金沢城跡の北東部で昨年度発掘された墓跡についていち早く公開している。
人工的に造られた平坦地と塚状の地形が見つかり、周囲が直径約4・5㍍の溝の中に直径約2㍍の墓があった。人骨は見つからなかったが、古銭50枚がまとまって出土し、実物を公開している。
同館によると、古銭はすべて中国からの渡来銭を、京都や和泉国(大阪府)、堺などの国内で鋳写(いうつ)した模造銭で厚さは薄い。古銭の特徴から、墓は16世紀中頃の戦国時代に造られたと判明した。
さらに、この場所は金沢城跡の鬼門の方角にあり、墓のほか火葬施設と考えられる穴もあり「戦国時代の墓域が広がる」(同館)場所だという。城と外界との境界、特に鬼門の方角に墓や寺を設ける事例は多く、墓は金沢城跡を信仰の面から守護した可能性が高い。
(伊藤志郎)