信仰と人生を鮮烈に描く 岩波文庫から山根道公編『遠藤周作短篇集』

「合わない洋服」を自分のものに

山根道公編『遠藤周作短篇集』(岩波文庫)

日本人とキリスト教というテーマを『沈黙』などの長編小説に描き、世界的にも高い評価を受ける遠藤周作(1923~96年)の短篇集が岩波文庫から出た。12の短篇小説と三つの思想的エッセーを収めたこの短篇集は、カトリック作家としての遠藤の原点と、思想的、文学的深化の跡をたどるものとなっている。

「イヤな奴」は、遠藤がカトリック団体の運営する学生寮にいた頃の体験をもとにしている。寮生たちがハンセン病患者を見舞う行事にいやいや参加した江木は、感染するのではないかと恐怖におののく。その主人公の弱さや卑怯(ひきょう)をこれでもかと鋭く描き出す。実体験か否かは別として、遠藤文学がまず自分の、ひいては人間の弱さを直視する所から始まっていることを強く印象付ける作品だ。

「帰郷」は、語り手の「私」が、亡くなった伯父の葬儀のために、妹と一緒に郷里の長崎県の三代田という村を訪ねる話。父親が養子に出たため、「私」にはなじみの薄い土地は、実は江戸時代のキリシタン弾圧で、ほとんどの村人が棄教した村だった。「私」はそんな村の歴史を知り、自分には転びのキリシタンの血が流れているのかと思う。

実は「私」は脂足の体質で、亡くなった伯父の下駄(げた)を見て伯父も脂足であったことを知る。そして大浦天主堂近くで見た踏み絵の板枠に残った親指の跡からは、これを踏んだ百姓たちには脂足が多かったことがうかがえる――。名作『沈黙』は、遠藤が長崎で踏み絵に残った足の跡を見た所から生まれたことは有名だが、それとつながる作品である。

市民的な日常生活をベースにしながら、自然な形で思想的な重いテーマが鮮やかに描かれるのである。

最後の方に収められたエッセー「合わない洋服――何のために小説を書くか」は、遠藤が、母親や伯母によってカトリックの洗礼を受けさせられて以来、それを「合わない洋服」と感じ葛藤してきたことが語られる。「私のもの」でも、三浦朱門らを指すと思われる親しい作家仲間に、自分の意志で信徒となることを選んだことを「羨ましい」と述べる場面がある。

この「合わない洋服」は遠藤にとって生涯のテーマとなる。「私は今日まで、ダブダブの服を少しでも自分のものにしようと思って書いてきた」のである。このエッセーが書かれた1967年以降も、最後の思想的長編『深い河』(1993年)まで探求は続けられた。

(特別編集委員・藤橋進)

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