茨城県のJR鹿島神宮駅で下車し、駅前広場に立って南東を見ると、小高い丘になっていて、その先に鹿島神宮。右手にも山があり、そこが鹿島城山公園だ。
神宮に参拝した後ここに来てみると、山の上は地元の人々の憩いの広場で、シートを広げて弁当を食べている家族たちがいた。散歩にやってくる人びともいる。
ここがかつて鹿島城のあったところだ。鎌倉時代初期から室町時代の天正19(1591)年まで、400年間、常陸大掾(だいじょう)氏族、鹿島氏の居城だった。
1520年頃、城主の鹿島義幹(よしもと)が城の大改造を行い、それがもとで内紛が起こり、家老らによって長男の義幹が追放され、城主に大掾忠幹の弟・通幹が迎えられた。「鹿島治乱記」に記録されているという。その後、佐竹氏によって落城する。
作家の中山義秀が『塚原卜伝』で描いている内紛だ。一方、矢作幸雄氏の『無敗の剣聖塚原卜伝』(講談社)では、卜伝はこの乱に巻き込まれるのを避けるために回国の旅に出たという。江戸時代になって貞享4(1687)年、松尾芭蕉がこの地にやって来た時、城はなかった。
鹿島城山公園は本丸跡だそうだが、霞ケ浦の北浦を一望のもとに見下ろすことができる、まさに絶景ポイント。平地は田んぼで、そこを走っているのがJR鹿島線。対岸も目の前にある。
(増子耕一)