世界への扉が開かれた秋田の工芸品
「博覧会とあきたの工芸」をテーマとした企画展「美の交差点」が6月30日まで秋田県立博物館(秋田市金足)で開かれている。 産業革命がいち早く進んだイギリスから始まった国際博覧会(1851年)のブームは日本へも激震をもたらした。本展は明治時代および秋田県に焦点を当てた。 明治政府は1873(明治6)年のウィーン万国博覧会から参加。この時に秋田の工芸品も海を渡り世界への扉が開かれた。本展では出品作と類似の作品を展示・解説し、博覧会によってデザインや市場の拡大にどう影響したのか、その後の進化を紹介している。 日本は博覧会を通し、美術作品や生産品を公開することで国の栄誉向上と輸出拡大を図った。扇子が1日だけで3千本も売れる大ヒット商品となった。陶磁器、銅器、漆器などの工芸品と織物を中心に貿易の引き合いが相次ぐ。 ウィーン万博の日本会場の大パネル写真(東京国立博物館蔵)を見ると、高さ1・8㍍の有田焼花瓶や名古屋城の金のしゃちほこなど巨大オブジェは外国人に強烈な印象を与えたに違いない。 秋田の主要な工芸品は、能代春慶(しゅんけい)(塗り)、川連(かわつら)漆器、樺(かば)細工、秋田蕗摺(ふきずり)、金銀細工、秋田八丈など。 秋田では伝統工芸品が海外で売れることに自信を深めデザインが変化していく。透明感のある能代春慶は、武家用の角張ったお膳から、ネコ足や円形のアールヌーボー風のテーブルウエアへ。生産者は博覧会担当者の要望に応える一方、受賞歴を宣伝材料として使い販路を広げていく。 興味深いのは、その後押しとして明治政府が、国際的な品質とデザイン性を高めるため図案集「温知(おんち)図録」を出したこと。注目作品を生産者名を含めて公開し、競わせようという狙いだ。 一方、明治政府は国内でも博覧会を開いていく。秋田県では77(明治10)年5月から約1カ月開催し1万点を超す応募があった。うち千百点が第1回内国勧業博覧会(同年8月~11月)に出品される。 変化の流れは現代でも続き、カラフルなお盆やカップ、ワインクーラー、フランスパン入れ、またブローチやスマホケースが輸出されている。 会場を訪れた男鹿市の60代夫婦は「普段はなかなか目にしない工芸品を解説付きで一堂に知ることができ、よく分かった」と観覧していた。月曜日は休館。 (伊藤志郎) |