東京都江東区の隅田川沿いに芭蕉記念館がある。その裏手の親水テラスを史跡展望台の方に行くと、かつて深川の草庵で芭蕉が詠んだという句の記念碑が並んでいて、「芭蕉野(の)分(わき)して盥(たらい)に雨を聞(きく)夜哉(よかな)」もその一つ。
作家、中山義秀の最後の作品『芭蕉庵桃青(とうせい)』は、芭蕉がこの地に移り住んで3年目を迎えたところから始まる。
「芭蕉としては三十七歳を期に、一切を放下して世捨人の境涯に入り、あらたに自分の句境をきりひらかうとする、意気込みだつたことと思はれる」と記す。
1年近くたつと芭蕉は草庵の暮らしに慣れ、生活を顧みるゆとりが生まれて、「芭蕉野分して」の句ができた。ここに来て老子や杜甫、蘇東坡(そとうば)風の句を作ってみたが、「まぎれもなく独自の作品」と義秀が称(たた)えたのがこの句だった。
芭蕉葉のざわめきと、盥に受ける雨漏りの滴りの音の対照は、写実から象徴へと人をいざない、「これは先達の俳諧師等の誰も、いたり得なかった境地である」と評価する。
隅田川と親水テラスは、都会的に洗練され、ビル群に囲まれて、雨漏りの滴を盥に受けとめて聞くような侘(わび)しい感じはない。しかし芭蕉が愛した大河では、今も、のどかに船が往来している。
(増子耕一)