――自民党の岸田文雄総裁は憲法改正の議論を深めると言っている。
本当にできるのか。また、議論したらそれでいいのか。いかにして激動の21世紀を乗り越えることができるかを考えるには、まずは自衛隊を正式に軍隊として掲げて取り組まなければならない。
「自衛隊は完全に軍隊だから違憲」という考えは国会議員の大半を占めてしかるべきだが、実際は明文でそれを禁じている憲法を見て見ぬふりをしている。
実は、これは法文化にとって大切なことだ。人が意識することによって法が法になる。意識しなくなることによって法でなくなる。この一番の例が、不文の憲法なのだ。大化の改新以来、我が国は律令でやってきた。律令を廃止したことはなく、いまだ残っている。

――無効論は理解されるのか。
無効論は世界が認める。昭和20年9月2日に連合国と交わされた降伏文書の末尾には、「天皇及日本国政府の国家統治の権限は、本降伏条項を実施する為適当と認むる措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かるる」と書かれている。サンフランシスコ講和条約第1条Bは「連合国は日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」とある。二つの条約を根拠に、昭和20年9月2日から27年4月27日まで、日本に主権がなかったことは明確なる事実として世界は知っている。
その間に、急遽(きゅうきょ)集められたGHQのメンバー25人が書いたのが日本国憲法の草案だ。9日間で英語で書かれ翻訳されたものを「日本国憲法」と言っている日本人自身がおかしいと世界は言っている。檻(おり)がないのにいまだ檻の中にいるサルのようだと言われても仕方がない。
――日本と英国の不文の憲法の違いは。
英国は、1215年の「マグナカルタ」から始まる憲法的法規があるが、1冊にまとまった憲法典を持たない「不文の憲法」の国だ。英国の法源が13世紀の国王に対する貴族の権利闘争から生まれたのに対し、日本は神話の世界に生まれ、現在まで伝えられてきたものだ。
日本は太古から現在に至るまでフランスやドイツ、米国のように憲法典を必要とするような政治的要求や必要性はなかった。フランスは国王の首を斬り、米国は独立したから成文憲法が必要となった。日本の歴史にそういうことはない。大化の改新以来、一貫して万世一系の天皇が続いている。英国と同じように不文の憲法を機能させるべきだ。
――日本における不文の憲法と国体との関係性を詳しく。
神武天皇は国民のことを大御宝(おおみたから)と呼んだ。国民を守ることが天皇の役割というのは建国以来の原則。民と君主の家族のつながりという原則が、日本の不文の憲法だ。
憲法に書かれていない相互助け合いの精神、いざ災害になったときの日本人の強さは世界一だ。これは憲法で規定しているものではない。個人主義では動かない民族だ。2011年3月に起きた東日本大震災の時の被災者の振る舞いが良い例。被災地に向かう米軍救援ヘリ機長だった女性の報告を読んだ。米国を含む被災地では救援ヘリに避難民が群がって混乱するという理由から、小学校の校庭に着陸することをためらっていた。しかし、実際はそうならず被災者が救援物資をバケツリレーで運んでいた。追加で物資を提供しようとしたところ、老紳士は「余った物資があればほかの人に渡しに行ってください」と話したという。
当時、10万7000人の陸海空自衛隊の統合任務部隊指揮官の君塚栄治幕僚長(東北方面総監)が鉄兜(かぶと)をかぶって天皇陛下に正対して敬礼した。大元帥陛下の軍隊だということを意味するシーンだった。
(聞き手・豊田 剛)