蘇る江戸時代の「鹿角郡」

紀行家・菅江真澄の日記展/秋田県立博物館

江戸時代後期の紀行家・菅江(すがえ)真澄(ますみ)は、30歳の頃に郷里(現在の愛知県)を旅立ち約45年間にわたって東北地方と北海道方面を旅し膨大な記録を残したが、その中でも盛岡藩の「鹿角(かづの)郡」に焦点を当てた企画展が秋田県立博物館(秋田市金足)の菅江真澄資料センターで開かれている。

真澄は鹿角郡を延べ3回訪れた。会場では、同館が所蔵する写本の図絵と現代の写真を比較し当時を振り返る。鹿角郡は現在、秋田県の鹿角市と小坂町となっている。

まず天明5(1785)年の日記「けふのせばのの」だが、同館によると日記の題名は、けふ=毛布であり、「白鳥の毛を織りまぜた幅の狭い布」を表すという。当時は鹿角紫根染(しこんぞめ)が特産品で、布を絵にしている。

2回目の文化4(1807)年8月には、男女の悲恋物語が残る錦木塚や大日堂を巡り、さらに日記「十曲湖(とわだのうみ)」では有名な滝や十和田湖を描写した。

十和田湖はさまざまな方向から見ていて、現在の発荷(はっか)峠近辺から見た御倉(おぐら)半島を「クジラが潮を噴き出しているよう」と表現。「すべての島々には五葉の松やモミジ、イタヤカエデ、桜が生えている。紅葉し始めていてその美しさは言葉にできないほど」と絶賛している。

最後の訪れは文政4(1821)年の3月。尾去沢(おさりざわ)鉱山に近い西道口地区から米代川を渡るため、両岸の棒に張った綱を手繰り寄せて舟を進める様子や花輪(はなわ)の街並みも丁寧に描いている。

(伊藤志郎)

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