
――教科書検定結果が公表された。
今回は、教科書のデジタル化が進んでいること、LGBTの記述が進んでいるという二つの大きなポイントがある。デジタル化については、テクノロジーの進歩を教育に取り込んでいくということ自体は当然のことだと思う。
歴史教科書の選定 透明性を 参政党東京議員団 25年度以降使用の中学教科書
ただ、IT技術でどの教科書が先を行っているかという競争になれば、本質から外れてしまう。歴史教育の根幹は、自分の国や民族にアイデンティティーを持ち、公共の精神を持つ国民を育てるということだ。教科書がそうした質を備えているかが問われるべきだ。そもそもQRコードで飛んだ先の内容は検定の対象外だが、それがもてはやされるような事態になれば、それは問題だ。
昨年、LGBT理解増進法が自民党が推進して成立した。社会そのものを破壊していくことに教科書が迎合してそう載せればいいんだという風潮は危険だ。
――教科書の採択のプロセスのどこに問題があるか。
歴史教科書について言うと、今の採択のあり方はほとんどなっていない。試験の点数で言えば20点ぐらい。全面改正された教育基本法で、教育の目標として初めて公共の精神や我が国と郷土に対する愛情を謳(うた)った。これは旧教育基本法の中には全く存在しなかった。改正されたところをどう教科書に反映させるかが重視されなければならないが、そうなっていない。「仏作って魂入れず」ではいけない。
学習指導要領に基づいて教科書が書かれるが、その学習指導要領には中学校歴史教科書の目標として、「我が国の歴史に対する愛情を深める」という項目が入っている。こうした主観的な言葉は歴史教育の固有のもので、理科などほかの教科にはない。
東京23区の採択調査資料を全部集めて分析したが、指導要領にあるような我が国の歴史に対する愛情が書かれている教科書が一つも存在しない(採択されていない)のは異常なことだ。教科書の体裁とか導入がいいとか、テクニカルな部分だけで比較して選ぶのでは検定の意味がない。その肝心の部分を全く無視して、瑣末(さまつ)なことだけを基準にして教科書の優劣を評価している。
生徒には難し過ぎる、中学校の範囲を逸脱しているといったネガティブな評価をすることがあるが、単にその教師がよく知らなかっただけかもしれないし、いずれにせよ主観的な評価だ。こうした調査票が決め手となって教育委員が選ぶケースが多い。
――教科書採択の透明性の担保はどうするか。
文科省が静謐(せいひつ)な環境を確保するのは当然のことだ。教育委員会は誰でも傍聴できるが、極端に騒いで妨害したり、圧力をかけることはあってはならない。各自治体で規則を作るなどし、排除するしかない。完全にクローズにするのも良くない。
――歴史教育を情報戦に利用している国もある。
中国や朝鮮半島の国々は歴史の観念が違い、歴史は単なる政治の方便にすぎない。権力者が変われば歴史が書き換えられてしまう。プロパガンダと歴史が同じで、共産党の意向でどうでもなるような学問の自由が存在しない国と歴史の共同研究はできない。日中共同研究は愚行だ。(聞き手・豊田 剛)