邪馬台国=ヤマト王権説に傾斜 NHKスペシャルで古代史ミステリー

精度増す科学的年代測定

韓国の前方後円墳の研究成果も

「卑弥呼の墓」との説がある箸墓古墳(角川吉夫撮影)

NHKスペシャルが「古代史ミステリー」と題して、日本国家の始まりを特集した。第1集「邪馬台国の謎に迫る」、第2集が「ヤマト王権空白の世紀」。最近の研究成果をもとに古代史の謎に迫ったもので、興味深いものだった。

第1集は、日本古代史最大の謎とされる邪馬台国と女王卑弥呼について、まずは所在地論争の定石に従い九州説と畿内説があることを紹介。九州説についてはその代表、吉野ケ里遺跡の最近の発見を紹介している。ただ、九州・吉野ケ里説を強く補強するような目ぼしい発見はないという印象が残る。

一方、畿内説では近年の奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡の発掘調査で大きな進展が見られた。纏向遺跡は、ヤマト王権発祥の地とされる奈良盆地東南部に、3世紀初頭に突如出現し、4世紀初めに営まれた東西2㌔、南北1・5㌔の広大な集落遺跡。これまで、200回近くの発掘調査で、その中心に宮殿とみられる建造物が建てられていたことなどが分かっている。

それが卑弥呼の宮殿だったのか。その可能性を判断する重要な鍵となるのが、遺跡から出た建築用木材の年代測定だ。名古屋大学大学院環境学研究科の中塚武教授は、日本で出土した木材の酸素の同位体比を研究し、1年ごとの気候変動のパターンから、その木材が切り出された年代を1年単位で特定する方法を開発。それによって、木材を切り出した年代を231年と特定した。この年は、中国の史書「三国志」の「魏志倭人伝」で、卑弥呼が魏の皇帝から「親魏倭王」の称号を受けた景初2(238)年の7年前で、卑弥呼の時代と一致する。

さらに番組では、纏向遺跡の南部にある出現期の前方後円墳である「箸墓(はしはか)古墳」が卑弥呼の墓であるとの説を紹介。炭素14による年代測定で、この古墳の推定築造年代を240―260年とする国立歴史民俗博物館の研究報告などをもとに、箸墓古墳が卑弥呼の墓との説が強まったとの見方をとっている。

番組の最後で、桜井市纏向研究センターの寺沢薫所長は述べる。「前方後円墳はヤマト王権の祭祀(さいし)と政治のシンボル。そこに卑弥呼がいたということですから、これはイコールなんですよ。卑弥呼はヤマト王権の最初の王ということになる」。

番組では、この「邪馬台国=ヤマト王権」を「大胆な説」と紹介しているが、邪馬台国をヤマト王権と見る見方がこれまでになかったわけではない。そもそも中国では「邪馬台(壹)」を「ヤマト」と呼んでいた時代がある。とはいえ、箸墓の築造年代も確定したわけでなく、異論もある。さらなる研究の深化が望まれるところだ。

番組では卑弥呼が狗奴国と対抗するために、呉と覇権を争っていた魏に使者を送るグローバルな外交を展開したことを紹介しているが、特段に新しい見方でもない。

これまで出土する土器の様式の変化を元にした編年などに頼ってきた年代研究は、科学的な測定法の開発で大きく前進した。それによって弥生時代の始まりが500年近く早くなるということも起きている。科学的な調査方法の進歩によって、古代の謎は少しずつ解かれていくのだろう。

第2集では、近年韓国全麗南道の栄山江流域を中心に多数発見されている前方後円墳が日本由来であることが、最近の調査で明らかにされていることを紹介。5世紀「倭の五王」がどのように朝鮮半島の激動に関わったかを描いている。発掘調査の進展で、半島の古代史との関わりの真相も少しずつ解明されつつあるようだ。

(特別編集委員・藤橋進)

spot_img
Google Translate »