大本山總持寺祖院 末寺、門前町も甚大な被害 【連載】能登半島地震2カ月 現場からの報告(3)

總持寺祖院の全壊した回廊など被災の様子を説明する 高島弘成副監院 = 2月23日(森啓造撮影)

能登半島地震では、石川県内の広い範囲で約7万5千棟の住宅被害が報告されている。古い寺院の多い地域だけに、多くの寺院の建物が被災した。輪島市門前町にある能登を代表する名刹(めいさつ)、曹洞宗「大本山總持寺祖院」は、国の登録有形文化財となっている17の歴史的建造物すべてが被災した。

境内に入ると、参道の石畳がめくれ上がり、灯籠が倒れている。正面の山門から続く回廊の全体が無残にも潰(つぶ)れている。法堂、山門、仏殿などは倒壊を免れたが、前田利家の妻を祀(まつ)る芳春院は全壊した。

總持寺は、正中元年(1324)に、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)が開山。徳川幕府によって福井の永平寺と共に曹洞宗の大本山とされ、人々に親しまれてきたが、明治31年の大火でほぼ全山を焼失。これを機に横浜市鶴見区に大本山は移転し、能登の寺院は「總持寺祖院」と呼ばれるようになった。

2007年の地震でも大きな被害を受けた。寄付などで集めた約40億円を投じ14年の歳月をかけて再建し、21年に「完全復興宣言」を行ったばかり。今年は瑩山禅師による開山700年に当たり昨年から記念行事が始まった矢先だった。

「復旧復興の見通しは全く立っていない」と言うのは、副監院の高島弘成さん(50)。「2007年の地震では、總持寺が能登復興の象徴のようなかたちとなったが、今回は被害の範囲が広く、末寺の11寺が全壊、19寺が半壊の被害を受けている。そういう中でここだけ再建というわけにはいかない」と苦しい胸の内を語る。

寺と共に発展してきた總持寺通りの30軒近い商店街もすべて被災した。「寺の再建も町の再建と併せて進めていくことになる」(高島副監院)。

大本山の總持寺があった能登には、その系統を引く曹洞宗の寺が多い。七尾市小島町の通称「山の寺寺院群」にある恵眼寺(えげんじ)も半壊の被害を受けた。山門脇の10体近い石地蔵や灯籠もすべて倒壊。本堂の倒壊は免れたが、扉が外れ、壁が落ち、天井が歪(ゆが)んでいる。裏手の墓地の墓石もほとんど倒れている。

各宗派の寺院が続く散策路の坂道の入り口近くには曹洞宗の龍門寺があり、ここも本堂が半壊状態だった。坂の上にある浄土宗の西念寺は、かなり前から無住寺となっており、墓地だけが守られている。本堂は完全につぶれ、黒い屋根瓦が瓦礫(がれき)と地面を覆っていた。

同じ小島町にある西光寺は、芥川賞作家、故西村賢太と西村が敬愛した七尾出身の作家、藤澤清造の墓があり、全国から毎年300人のファンが訪れる。この浄土宗寺院も山門や地蔵堂が倒壊し、2作家の墓も倒壊した。

總持寺の高島副監院は、寺の今後について「まずお寺としての機能を回復していく」と語る。地震で仏具などが散乱した堂の内部を元に戻していく作業から始めなければならない。取材班が訪ねた2月末の時点では、まだその作業に本格的に取り掛かれるような状態ではなかったが、4日、同寺のホームページは、僧侶に限り災害復旧ボランティアの受け入れを開始したことを発表している。当面、僧侶に限定したのは、寺院内の作業は、専門性を要するためという。(能登半島地震取材班)

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