石川県能登地方を中心に甚大な被害をもたらした能登半島地震の発生から2カ月が経過した。マグニチュード(M)7・6という規模の大きさに加え、日本海に突き出た長細い半島と言う地形が影響し、復旧は思うように進んでいない。それでも復興への歩みは一歩ずつ始まっている。(能登半島地震取材班)
先月24日朝、七尾市を車で出発し輪島に向かった。この日、岸田文雄首相が穴水町と輪島市を訪問する予定だった。首相として地震発生後2度目の被災地視察となる。
国道249号を穴水方面に北上する。天気も良く、右手には波静かな七尾湾が広がる。ただ、いつもと違って交通量が多く、砂利を積んだトラックはじめ何台も他県ナンバーの支援の車が走っている。愛知県警や大阪府警、そしてこの日は首相の能登入りのためだろうか、警視庁のパトカーも走っていた。能登が非常時であることを実感する。
車の流れも制限速度以内でゆっくりだ。交通量が多いだけでなく、道路の至る所に破損箇所があり、慎重に運転せざるを得ないのである。
輪島で岸田首相が仮設住宅を訪問し、焼け野原となった朝市通りで被災者たちの声を聞く様子を取材。首相一行が去った後、現場で片付け作業をしているボランティアの話を聞いた。時間は午後2時を過ぎていたが、せっかくここまで来たのだから、白米(しろよね)千枚田に行くことにした。千枚田は小さな棚田が海近くまで続いている奥能登を代表する観光スポット。世界農業遺産「能登の里山里海」を象徴するこの棚田も、地震で大きな被害を受けた。
千枚田は通常なら輪島市街から国道249号を東へ15分ほどで行ける。しかし、この最短ルートは、一般車両の規制が掛かっているため、カーナビでルート検索すると、県道1号を南下し大きく迂回(うかい)するルートが表示された。仕方なくこの道を行くことにしたが、至る所で土砂崩れによる片側通行があった。
迂回路を走ること約1時間20分、ようやく名舟という海側の集落に出る。そこから再び海沿いの249号を今度は西へ車を走らせたが、1㌔ほど行ったところで道路の前方は土砂に埋まっていた。
土砂は道路を越え海にまで達しており、その海も地盤隆起のため沖へ向かって100㍍以上陸地となっている。
道路の傍らには「災害支援 国土交通省北陸地方整備局」の横断幕を張った富山ナンバーの車が止められている。もう1台栃木ナンバーの車には簡易トイレが積まれている。ショベルカーなどの重機はまだ搬入されておらず、本格工事のための準備作業をしているようだ。
日も傾き始め、千枚田訪問は断念せざるを得なかった。能登空港(のと里山空港)に寄って七尾へ引き返すことにした。能登空港は1月27日から民間機の運航を再開し、週3日、1往復の臨時ダイヤで運航している。
あまり人けのない空港ロビーを見た後、車を走らせ通行止めとなっている自動車専用道路「のと里山海道」の崩落現場に行ってみた。アスファルトの路面が下の土砂ごと崩落している。素人目にも修復するのは容易ではないと思われる。
能登半島の動脈は、金沢市から穴水町へ至る自動車専用道路「のと里山海道」、輪島から富山県高岡まで続く能越自動車道、能登空港から珠洲市まで続く珠洲道路、そして七尾市を起点とし、能登半島を周回して金沢市に至る総延長222㌔の国道249号からなる。
復旧が遅れている理由は、日本海に長く突き出た能登半島の地形によるところが大きい。最大震度7の揺れが、半島の奥に続く道路を土砂崩れで寸断した。1月5日時点で、国道249号で25区間、県道で67区間など合計93区間もが通行止めだった。
中でも249号の日本海側は特に被害が大きく、中には東京ドーム1杯分の土砂に覆われた箇所もある。国土交通省は249号の管理者の石川県に代わって国が工事をする権限代行による本格復旧に着手したが、地震前と同様に通行が可能になるには数年を要するとの見通しを示している。
半島という地形はやや特殊だが、高齢化、過疎化など能登半島地震は、日本の地方が抱える脆弱(ぜいじゃく)性を浮き彫りにした。能登復興は日本の地方の未来を占うものとなっている。