【ウクライナ侵攻2年】「母の味」日本に 夢見る帰郷の日 避難民家族のウクライナ料理店

東京・吉祥寺

家 族 と 営 む ウ ク ラ イ ナ 料 理 店 の カ ウ ン タ ー に 立 つ ヴ ィ ク ト リ ヤ さ ん ( 左 ) = 東 京 都 武 蔵 野 市

「いらっしゃいませ。こちらの席へどうぞ」。流暢(りゅうちょう)な日本語で接客するボグダノヴァ・ヴィクトリヤさん(30)はウクライナ出身で、来日10年目。約2年前、ロシアのウクライナ侵攻で故郷の東部ドネツク州に危険が迫り、両親と姉の家族を日本に呼び寄せた。今は土曜日と日曜日の週2日、家族と共に東京・吉祥寺でウクライナ料理店「バブーシャ レイ」を切り盛りしている。ロシアの侵攻が始まって24日で2年。ヴィクトリヤさんの思いを聞いた。(辻本奈緒子)

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カウンター8席の小さな店に立つのは、ヴィクトリヤさんと姉のジェーニャさん(37)、ウクライナ人や日本人のスタッフ。料理を作るのは母のナタリアさん(59)で、父のビクターさん(62)が食材の買い出しなどを手伝っている。店名には、ウクライナ語で「おばあちゃん」を意味する「バブーシャ」を入れた。

2022年3月、日本政府がウクライナからの避難民を受け入れることを知ったヴィクトリヤさんは、家族を呼ぶことを決めた。まず両親が来日し、2週間後に姉と姉の息子、さらに約2カ月遅れてヘルニアの治療中だった姉の夫がやって来た。ビザはわずか2日で下りたという。

曽祖父の代から暮らしていた故郷のドネツク州ニューヨークは、危険地域になってしまった。町の主要産業である化学物質のフェノール工場が22年4月に爆撃され、多くの住民が避難、その後も幾度にもわたり攻撃が続いている。生まれ育った町を離れることを拒んだヴィクトリヤさんの母方の祖母は、近所の人々に見守られながら一人残っていたが、86歳で今月亡くなった。

ヴィクトリヤさんにとって戦争が始まったのは、2年前ではない。14年、親ロシア派とウクライナの戦闘でドネツク空港が破壊された頃、ヴィクトリヤさんはドネツク州中心部にある大学に通っていた。卒業論文の制作のため毎日通学する道中、頭上を戦闘機が飛び、銃声が聞こえた。

留学生として来日してからは故郷の状況を聞くと「嘘(うそ)みたい」と思っていたが、一時帰国した時、実家の窓に爆発で飛来した金属片で穴が開いているのを見て驚いたと明かす。それでも日本から母に電話すると「大丈夫よ」としか言われず、詳しい状況も聞かないようにしていた。

来日後の両親や姉家族には「みんな優しく接してくれて、そんなに問題はなかった」とヴィクトリヤさん。行政やウクライナ人コミュニティーのサポート体制もあった。料理店の開店を勧めてくれたのは、日本人である夫の母。自身の経営するバーの店舗を土日のみ使わせてくれることになり、両親が来日した翌月にはプレオープンにこぎ着けた。

ヴィクトリヤさん一家が開店を決めた理由は、幾つかある。慣れない日本で何もすることのない日々は、両親にとって苦痛だと思ったこと。また日本財団などの生活支援は受けているが、いつまで頼っていいか分からない。経済的に自立もしたかった。そして日本とは全く違ったウクライナの食文化を、日本人に知ってほしい気持ちもあった。

メニューに並ぶ料理はどれも、ウクライナ人ならお馴染(なじ)みの家庭料理で、ヴィクトリヤさんにとっては子供の頃から食べていた“母の味”。おすすめメニューは鶏肉のカツ料理チキンキーウや、ジャガイモとキノコを小麦粉の皮で包んだヴァレニキなどで、ウクライナビールも人気だ。SNSで心無い言葉をぶつけられたこともあったが、開店以来、口コミで客足が増えていった。

人気メニューのヴァレニキとボルシチ(奥)=東京都武蔵野市
人気メニューのヴァレニキとボルシチ(奥)=東京都武蔵野市

取材当日も、お昼時には満席に。客は日本人が大半といい、初めて来店したという武蔵野市の会社員・齊藤邦彦さん(43)は「想像よりも優しい味でおいしかった。ウクライナへの応援の気持ちも込めて、また来たい」と話した。

ウクライナの近況についてヴィクトリヤさんは、友人と話し合うことはあっても「ニュースを見ることはとても苦痛なので、ほとんどしない」。両親は戦況が落ち着けば帰りたいと話しているが、姉のジェーニャさんはしばらく日本での生活を続けることを希望している。日本財団によると、戦争の長期化で教育や介護、自国に残る家族と暮らしたいという思いなどから、帰国を検討する避難民も一定数いるという。

ヴィクトリヤさんの目標は、今よりも大きな場所で本格的なウクライナレストランを開くことだ。ウクライナの田舎風の内装にし、文化を身近に感じられる場所にしたいと、夢は膨らむ。日本で職探しに苦労しているウクライナ人の雇用先にもしたいと語る。

もう一つの夢は、5歳と3歳になる2人の息子に故郷を見せること。「大好きなドネツクに子供たちを連れて行ってあげたい」――。希望が叶(かな)う日が一日も早く訪れることを、今も祈っている。

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