世界中からファンがやって来る

東京のJR三鷹駅の近くに太宰治文学サロンがある。時々訪れる展示館で、企画展が面白かったが、2020年に三鷹駅前の三鷹市美術ギャラリーに太宰治展示室ができて、企画展はなくなった。
サロンの中央はカフェで、壁面は太宰関係の文献で埋め尽くされている。
リニューアルオープンは22年3月。蔵書は、太宰治研究の礎を築いた山内祥史氏の研究資料「山内祥史文庫」の一部と遺族の寄贈した書籍だそうで、本棚から取り出して読むことができる。その充実した文献にほれぼれした。
太宰治という作家に、その経歴から抵抗感を抱いていた時期があった。が、いつしかそれが薄れていった。その理由は、衰えることのない太宰の人気の高さについて考えさせられたからだ。
中央大学名誉教授渡部芳紀さんの示した「心の王者」という見方にもひかれた。猪瀬直樹さんの評伝『ピカレスク』は、太宰の実像を実証的に明らかにしつつ、文学的業績を先輩作家の井伏鱒二と比較し、圧倒的に太宰に軍配を上げていた。これには驚かされた。
少し研究史をさかのぼってみると、ある時期から、太宰の人物像を作品から考察することは誤解をもたらすことになる、ということが明らかになってきた。たとえば幼少期について「病弱で陰鬱(いんうつ)な少年」と年譜には書いてあるが、「かなりの腕白で悪童ぶりを発揮した」というのが事実だ(片山英一郎著『太宰治情死考』たいまつ社)。
この展示室には冊子「太宰治文学サロン通信」があり、新たに寄贈された資料や、愛読者による太宰文学との出合いと、身近になっていった関わりが紹介されている。
最新号は23年12月号でvol.60。同サロンのガイドボランティア吉山伸樹さんが、太宰の娘である太田治子先生のエッセイ教室に通った体験をつづっている。そこで先生と交流を持つようになり、『斜陽』のイメージが覆されたというのだ。そこで知ったのは、母親の太田静子は『斜陽』のモデルではなく、自由で自立した共同作者。誇り高い母親像だった。
そしてガイドをする際に毎回、驚かされるのは、海外からお客さんらが来ることで、世界中に太宰のファンがいることを伝えている。
(増子耕一、写真も)