シュルレアリスム運動の影響受ける

瀧口修造、阿部展也、大辻清司、牛腸茂雄
日常の現実に潜む神秘と美
渋谷区立松濤美術館で「『前衛』写真の精神:なんでもないものの変容瀧口修造、阿部展也(のぶや)、大辻清司(きよじ)、牛腸(ごちょう)茂雄」が開かれている(来年2月4日まで)。
ヨーロッパでシュルレアリスムの運動が起きると、1930年代、日本でもその影響を受けた前衛写真が数多く発表された。その中心にいたのが美術評論家の瀧口(1903~79年)で、絵画と写真で活躍した阿部(1913~71年)らとともに前衛写真協会を設立。
前衛写真の運動は、太平洋戦争に向かう時代、弾圧の対象となって終局へ向かった。だが、戦後もその精神は継承され、写真家の大辻(1923~2001年)や牛腸(1946~83年)が登場する。この写真展はこの4人の特異な系譜を紹介するもの。学芸員の木原天彦さんは「日本写真史のなかで重要な4人です。現代を生きるヒントになる思想が隠されています」と案内する。
シュルレアリスムは美術運動だったが、超現実主義は、現実を写す写真にどのように受け入れられたのか。瀧口は「故意に原画を歪曲したり、切り抜いたりすることで終始するものではない」と考えを示し、「日常現実の深い襞のかげに秘んでいる美を見いだすこと」と語った。そのよい例がウジェーヌ・アジェの作品で、展示はアジェで始まる。
アジェはパリの風景を撮り続けた。瀧口はそこに記録写真の精神とともに「記録以上の神秘と愛」を認めた。初期の例として紹介されるのは阿部で、被写体を本来の用途から切り離して「発見」するという、「オブジェ」の理念を持ち込んだもの。
写真展は、千葉市美術館、富山県美術館、新潟市美術館、渋谷区立松濤美術館の共同企画によるもの。各美術館を巡回し、今回が最後。松濤美術館が加わったのは、大辻が渋谷区に住んでいたことと関係していて、桑沢デザイン研究所で彼の教え子だった牛腸も、同じく渋谷区の住民だった。渋谷区代々木上原の風景は《大辻清司実験室なんでもない写真》(1975年)に登場する。
大辻は前衛的実験の成果を引き継いで、物質から日常をはぎ取った、ものそのものの不思議さを《氷紋》や《無言歌》で表現した。しかし60年代になると、写真を撮る作者自身の思考と意識の在り方を問う作品を提示し、「この写真がなんであるのか、言葉でうまく説明できない」という、謎めいた写真群を発表。その一例が《なんでもない写真》の数々だが、代々木上原二丁目の表示が写っている作品を見ると、建物のたたずまいも、道行く人も、懐かしさを感じさせる街の風景だ。
大辻の教え子、牛腸は学生の頃からずば抜けた才能を発揮し、平和そうな日常生活を撮り続けた。60年代の学生運動の激しかった時代で、「闘争から逃げている」と批判されたそうだが、木原さんは「前衛の隠された精神革命を受け継いでいました」と語る。多くの作品は人物を主題にしていて、日常風景に人は不可欠だったらしい。
会場に牛腸の「自筆ノート」(1960~70年代)があった。開いたページにはアジェについての感想が記されていた。「かれは、ごく日常的な光景の中から実に多くのものを発見し、写しとっていた」と。
(増子耕一)