能登地方は「奇祭の宝庫」
野生の鵜で翌年の吉凶を占う
石川県能登地方は「奇祭の宝庫」と呼ばれるほど、珍しい祭りが多い。中でも“奇祭中の奇祭”と称されるのが、「気多(けた)の鵜(う)祭り」(国重要無形民俗文化財)だ。羽咋市寺家(じけ)町に鎮座する能登一ノ宮・気多大社で、12月16日未明に執り行われる。神様の使いとされる野生の鵜を捕獲して神殿に放ち、その動きを見て翌年の吉凶を占う。500年以上前から伝わるとされ、金春(こんばる)流の能「鵜祭」で演じられてきた。
鵜は神事の5日程前、同神社から東へ40㌔余り離れた七尾市鵜浦(うのうら)町鹿渡(かど)島の鵜捕り崖で生け捕る。付近は文字通り切り立った崖で、羽を休める鵜を捕獲する。誰でも獲れるのではなく、その技は鵜捕主任の小西家が、代々一子相伝の秘伝で受け継いできた。
鵜は生け捕られた瞬間から神の化身の「鵜様」となり、神事が終わるまで“断食”を強いられる。自然相手だけに悪天候が続いて捕獲できなければ、やむなく「鵜様」不在の神事になる。近々では3年前に2年続けてそうなってしまった。
捕獲された鵜様は同地区の鵜捕部が編んだ丈夫な籠に入れられ、3人1組で交替で籠を担ぎ、2泊3日かけて徒歩で同神社を目指す。途中の集落では、一行が「鵜捕部、鵜捕部」と大声で叫ぶと、住民たちが沿道に出て手を合わせる。年配者の間では「鵜様を拝まずに新年は迎えられん」との信仰が根付いている。
14日夕刻に神社に到着し、16日午前3時すぎ、神事が始まる。未明の本殿は底冷えの寒さで、例年氏子や見学者ら30人ほどが参列し、厳かな気持ちで見守る。神前には一対のロウソクだけが灯(とも)り、本殿は真っ暗闇だ。
張りつめた冷気の中、神職と鵜捕部の重々しい問答に続いて鵜様が本殿に入る。鵜特有の生臭い体臭が一気に漂ってくる。神職との間で、さらに問答が交わされ、それが終わるといよいよ鵜様が神前に放たれる。
壇上のわずかな明かりを慕って、鵜様は案上(台)に飛び移る。そこに止まると、神職がロウソクを消し神事が終わるが、そう簡単には飛び乗ってくれない。
目を凝らして見ていると、鵜様は辺りをキョロキョロ見渡したり、時折甲高く鳴いたり、台の下を歩き回ったりと、なかなか神職の意図した動きをしてくれない。3分余り待っても台に飛び乗らなければ、神職が取り押さえて台に乗せ、神事が終わる。その様子を古老が見ていて、翌年の吉凶を占うわけだ。
ちなみに前回はなかなか台には乗らず、神職の手で乗せられ、神託は「慎重に進むべきで、そうすると先が見えてくる」だった。大役を終えた鵜様は近くの海岸に運ばれ、晴れて自由の身となり、漆黒(しっこく)の空に飛び立っていく。
他に類例のない神事だけに、その由来ははっきりしない。一説では奈良時代から続くと言われるが、明確な記録は残っていない。領主だった前田家の記録には、「鵜捕部に鵜田二反を寄進した」とある。
この鵜田は今でも鵜捕部各家の共同所有で、年ごとに交代で耕作され、新米は鵜祭で奉納している。民俗学者の柳田国男は「未明の神事だけに、日本の祭りの原型ではないか」と指摘している。さて、今年のご神託は何と出るだろうか。
(日下一彦、写真も)